ばあちゃんが亡くなった、人はみんな死ぬんだよな。
大好きなばあちゃんが99歳で
クリスマスイブに亡くなった。
寂しさや悲しさもあるけど
ばあちゃんから、いろいろもらったものが大きくて
長生きしたばあちゃんを尊敬してるし
ここまで楽しく生きて、天寿を全うしたばあちゃんを誇りに思う
毎回1月3日に、ばあちゃんの誕生日にプレゼントを買って
ばあちゃんに会うのが楽しみだった。
今年も何を買おうかな、喜んでくれるかなと考えるのも好きだった
体の調子が悪いときに俺があげた猫のブランケットを大事に使ってくれてたり
ただ会いに行っただけなのに泣いて喜んでくれて
もうすぐ俺、40歳なのに小遣いとかくれたりする
小遣いなんかいいのに、、
ずっと俺は、ばあちゃんにとっては孫であって
小さな子供の印象なんだろうな
ばあちゃんはよく食べたしよく笑ったり
泣いたり怒ったりしてた
気が強くって96、7歳くらいの時
入院してて「病室を移動してくれ」って病院から言われて
今すぐ退院してやるって怒ってた
どうやら村の後輩が入院するのに
なんで先輩の自分が移動しないといけないんだって
そのあとケアマネージャーさんが丁寧に
ばあちゃんは自立して移動できるけど
新しく入る人は介護がないと移動できないから
申し訳ないけど移動して欲しいとお願いされて
「そうやって言われたらわかるけどさ、、、」みたいな感じで
納得してた 笑
90歳になっても人間臭いし、怒ったりもする
そんな人生の先輩の背中を見て、人間らしさを教えてくれた気がする
お葬式の時やっぱりさみしかったけど
自分が死ぬことを俺はどれくらい意識してきたのか
もっと考えることができた気がする
ばあちゃんが亡くなったことは寂しいけど
家族が先に亡くなるというのは
人は必ず死ぬんだよ
抗えない宿命なんだ
だから今をどう感じて終わりをどうしたいのか
ということをちゃんと教えてくれる
儀式なのかなと思った
死ぬことを感じて
自分がこれからどうやって生きていくのか考え、生きていく
その死というのが60年後か明日かはわからないのだから
精一杯生きなきゃ、もったいないよって言われた気がする
ばあちゃんのお葬式
みんながばあちゃんを思って、悲しんだり、笑いあったり、寂しい顔したり
それはそれは素晴らしいお葬式だった。
みんなばあちゃんが大好きだったんだなと。
ばあちゃんは偉大な母であり、偉大な祖母であった。
そんな、ばあちゃんをあらためて誇りに思う
俺は死ぬ時にどんな風に思われてどれだけの人が
俺という存在をどう思って語ってくれるのか
それは今までと、これからの生き方次第だなと。
ばあちゃんみたいに愛されて、幸せな人生を全うしたいと思った。
ばあちゃん色々教えてくれてありがとう
いつもやさしくしてくれてありがとう
もう1月3日はお祝いできないけど墓参りはいくからね
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