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僕が見た怪物たち1997-2018「人間へ、2018」③

「人間へ、2018」②

 僕たち以外は誰もいない公園のベンチに、ふたり並んで座る。以前はよく姉弟に間違われることも多かったが、いまでも僕たちふたりはそう見えるだろうか。先生は変わらず年齢よりもずっと若い外見をしているが、さすがにそれはもう難しいかもしれない。年齢の近い親子くらいが限界だろう。

 親子か……。

 実際、僕は先生と、母親よりも倍近い年月を一緒に過ごしてきた。

「まったく……、その運、というか、タイミングの良さは、ずっと私と一緒にいたせいかしら。まさかあなたが彼と私の知らないところで顔を合わせるなんて思ってなかった」

「それは認める、ということですか? 岩肩くんが死んでいない、と」

「だってもう会っちゃったんだから、それとも否定して欲しい? 否定したところで、また文句を言うわけでしょ」

「まぁ、そうですけど……」

「それで? どうしたいの、あなたは? 縁を切る、私と」

 縁を切る、という言い回しが先生らしい。別に先生は無理に僕を引き止めたりはしないだろう。実際、失踪するように彼女のもとから姿を消した時も、僕を探す気配さえなかったのだから。

「まだ何も決めていません。……すこし話しませんか? あの時のことを」

「いまさら知ったところで、過去は戻ってこないのよ」

「過去を知ることで、未来が変わるかもしれませんよ。僕のこれからの未来のために、すこしだけ付き合ってくれませんか? 二十年も一緒にいたんですから、このくらいのわがままは許してください。長年の疑問や、違和感の正体を解決したいんです」

 冗談なのか本気なのか判断の付かない、いつも通りの口調だったが、かすかに不安が混じるような、普段では絶対見せない表情をしていた。

「あなたが来て四年目か五年目くらいのことだったかな。覚えてる? 探偵になりたい、って思ったことはないけど、探偵助手になる可能性はあるかも、なんて、あなた、その時の事件の詳しい内容を知りたがっていたよね」

「よく覚えてますね」

 と言いながら、僕も自分自身のその言葉を、先生とのやり取りを、しっかりと覚えている。それは先生と違って、記憶力が良いからではなく、あれが僕にとって特別な事件だったからだ。

「生意気に育ったなぁ、って、憎々しく思ったから、余計に、ね」

 と先生がほほ笑む。

「まぁ探偵助手を務める機会なんてひとつもありませんでしたが、大体、先生は助手がいなくても、大抵自分ひとりで解決してしまいますから」

 だからこそ……、なんで僕なんかを助手にしたんだろう、という疑問はつねに僕の心に纏わり続けていた。

「探偵助手じゃなくて、いまはあなたが探偵よ。疑問も違和感の正体も、完璧じゃないにしても、あなたなりの謎解きは終わってるんでしょ。それを私にぶつけてみなさい」

「僕はある時期からずっと考えていました。なんで、先生……あなたは僕をこの村から連れ出して、僕をそばに置き続けたのか、と」

「私は強制したつもりはないけれど? 別にあの時だって、あなたは断ることができた。もし、あなたが逃げ出していたとしても、私は追わなかったよ。今回が良い例じゃない。実際に、私はあなたを探さなかった」

「そういう問題じゃないんです。僕が言いたいのは、なんで一緒にいる、なんて、そんな提案を僕にしてくれたのか、ってことなんです」

「あの日、言ったはずよ。哀れな怪物を助けてあげたくなった。それだけよ」

「……えぇ。確かにあの時、先生はそう言ってくれました。本当なんだろうか……僕にはずっと疑問でした。だって僕はあなたのそばで、色々な怪物となった人間たちを見てきました。だけど先生は僕以外、誰にも手を差し伸べなかった。僕と同じように怪物に……いや、僕は正確には怪物ではなかったわけだけど、あの頃はそうだと思っていた、っていう意味ですよ……、彼らをあんなふうにしておいて、あなたは僕以外の怪物に手を差し伸べようとはしなかった。例えばさっきも話に出た、双子の妹の霊が姉に憑いた事件。よく考えれば、最初に違和感を抱いたのは、あの時のような気がします。あれも先生なんですよね? 双子の妹……渚さんを殺した三人の女性たちの憎しみが、渚さんに直接向かうように背中を押したのは?」

「さぁ、なんのことかしら」

「素直に頷いてくれる、とは思っていませんよ。……だから、次に行きます。他にも色々な出来事があります。でも……印象的な事件、というと、先生をずっと見下していたあのストーカーの霊に苦しめられていた女性の話でしょうか。結局あの夜、窓から飛び降りて自殺……いえ、ストーカーの幽霊に地獄へと追いやられた、と言ったほうが正しいのでしょうか? あの女性が大学時代にストーカーを殺したのもあなたと会った後、ですよね。もしもまたそのストーカーが接触してきたら反撃するのよ、なんて言って、彼女の倫理観を緩めていく、そんなカウンセリングルームのあなたが簡単に頭に描けるのです。もともと彼女は被害者だから、正直に話したら助けてあげよう、って確か僕に言ってましたけど、彼女がああいう性格だと知っていたからこそ、依頼を受けたんですよね。最初から、この結末になる、と想像していながら、あなたは……」

「それだけ想像力の強さがあるのなら、小説でも書いたら?」

「志賀さん、という大きな才能を間近で見てしまうと、冗談でもそんなこと言えなくなります。……そう、そして最後は志賀さんのことです。あれは露骨でしたね。あんなに露骨に光希さんに志賀さんの著作を薦めて……。あなたなら、どうなるか分かっていたはずです。そして、本だけじゃなくて、さらにもう一押しあったんじゃないか、と思っています。僕と一緒に光希さんに会いに行った日、帰り際に、忘れ物した、って言って、彼女の部屋に戻りましたよね。あれ、本当ですか? あの時が一番怪しい、と僕は踏んでいます。あのあと、怪物の話が急に出て来たりもしましたし……」

「前置きの長い男は嫌われるよ。結局、何が言いたいの?」

「なんで怪物の本性を暴き立ててきた……これは、あなたの言葉を借りただけで、僕は人間の本性が怪物だなんて思っていないですよ……、暴き立てつつも、容赦なく見捨ててきたあなたが僕という例外を作ったのか。僕は知りたかった。だから……ごめんなさい。一度こっそりあなたの部屋に忍び込んだことがあります」

「知ってる」

「そうだと思っていました。だったら僕が何を見たかも、もう知っていますよね。息子さんの写真。僕と同じ名前のコウさんは、あんな顔をしていたんですね」

「かわいいでしょ」

「……すごく似ていますね?」

「誰に?」

「もちろん……、岩肩くんに、ですよ。怪物とか、そんなことよりもずっと、そっちのほうが大事だったんじゃないですか。もともと狙いは岩肩くんひとり、それ以外はどうでもよかった。違いますか?」先生は、何も答えない。「ここからは僕ひとりで考えてもまったく分からなくて、あなたの口から聞きたいことです。なんで、岩肩くんが目的で、そして彼が死んでいなかったのに、僕を選んだんですか? ……岩肩くんが死んでいたなら分かる。僕がコウさんの代替品の予定だった岩肩くんの、そのさらに代替品だ、と考えればいいだけ――」

「違う。他の誰でもない。私は、あなたを、選んだのよ」

 強めに放たれた言葉が、僕の言葉をさえぎる。

 思いのほか、先生は真剣な表情を浮かべていた。

「人間へ、2018」④【終】