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西澤作品をできるだけ読んでみる③  『夏の夜会』

 いつもお世話になっております。書店員のR.S.です。

 今までに紹介した『黄金色の祈り』『幻視時代』『聯愁殺』の三作と違って、今回紹介するのは初めて読む作品で、実はタイトルと文庫裏の紹介文から勝手に短篇集だと勘違いしていました。文庫版の表紙にはっきりと〈長編推理小説〉と銘打たれているのにも関わらず……、と、まぁ私の注意力の無さはどうでもいいとして。

 今回紹介するのは、

 忘れるという罪が、現在(いま)を追い詰める――『夏の夜会』(光文社文庫 2005年)

 親本はカッパ・ノベルスから2001年に刊行されました。

 ※ネタバレはしない予定ですが、読む楽しみを奪われたくない方は、ご注意を。

 母方の祖母の葬儀に参列するため田舎に帰省した〈おれ〉は、葬儀の翌々日に行われたかつての同級生の結婚式に出席する。披露宴でたまたま同じテーブルになった小学校時代のクラスメートたち。そこで話題にあがった〈井口加奈子殺害事件〉。陰湿でサディスティックな性格で「鬼ババア」と呼ばれていた女教師が死んだ、という三十年前の出来事の記憶は全員にとって曖昧なものだったが、その記憶をめぐる内に意外な真相が明らかになっていき……。

 私にとって、思い出せない記憶ほど不安をかきたてるものはありません。思い出せない記憶のほとんどは、時間の経過によって忘れてしまう、どうでもいい記憶ばかりだ、とは思います。ただ時折、強烈な不安に襲われるのです。忘れようとその記憶に無理やり蓋をして、封じ込めているだけなのではないか、と。私は自分のことを、何ひとつ恥ずべきことの無い人生を送ってきた後ろ暗さとは無縁の人間だと思ってはいませんが、犯罪や大きな悪事に手を染めた記憶はありません。ただ突然、記憶の蓋が外れ、私も知らない私が顔を出すのではないか、と不安になるのです。

 曖昧な記憶のほころびを議論によって繕いながら真相に向かっていく本作ですが、その真相は暗い。忘れることの恐怖を扱った作品が大好きなこともあり、前半を読んで、後半への期待はかなり大きくなりました。登場人物の記憶は信用できないし、そもそも語り手も含めてすべての登場人物自体が信用できない、という作品はやはり物語としてわくわくします。

 ただミステリとしてのインパクトは『七回死んだ男』や『聯愁殺』のような作品と比べるとすこし弱めな印象を受けますが、物語全体に漂う不快感には何とも言えない魅力があります。特にラスト数行あたりは、他の残酷な結末の西澤作品と比べると、そんなに嫌な感じのする終わり方ではないはずなのに、不快感が残る感じがします。

 正直に言えば、後半以降は物足りなさを感じましたが、ホラーやイヤミスに惹かれるかたなら読んで損はないと思いますよ。