見出し画像

現世への愛と憎悪を超越して創り出した、どこまでも美しい虚構       アンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』

 そこに宿るのは強烈な周囲への不信や嫌悪である。まるですべてを拒絶するかのように、不安とともに孤独な生を送ろうとするその佇まいに、何故か強く惹きつけられている自分に気付く。相手は何ひとつ望んでいないのにその人のもとに引き寄せられていく、カリスマという言葉はあまり好きではないですが、こういう想いを他者に抱かせる存在が〈カリスマ〉というのかもしれません。

 ※敬称略ですので、悪しからず。

 解説者である作家の皆川博子が作中の文章をいくつか抜粋して解説を始めていますが、作中の至るところに印象的な言葉があり、ぜひ抜粋したいと思う文章が本当に多い。言葉の魅力に満ち溢れています。

《(前略)“友達になった”ではなく、あえて“知った”という言葉を使うのは、学校にいた時期を通じて、Hを常に強く意識してはいたものの、彼女との間に友達と言える関係はいっさい生まれなかったからだ。》(「母斑」より)

《(前略)長い間、私は寒く孤独で惨めな日々を過ごしてきた。この前、太陽を目にしたのはもう何カ月も前のことだ。ある朝、突然、私はこの何もかもに耐えられなくなる。この寒さ、この孤独、この永遠の霧をこれ以上我慢することはできない――これ以上、一時間たりと。(後略)》(「上の世界へ」より)

《(前略)ありとあらゆるものが危険で敵意に満ち、ともすれば痛苦をもたらす世界で、唯一、この鳥たちだけは私に危害を及ぼすことがない。それはおそらく、彼らが私の存在に気づいてすらいないからだろう。(後略)》(「鳥」より)

《(前略)冬の最も厳しい時期よりもはるかに気を滅入らせる、太陽のない夏の一日は、どこもかしこも重く淀んだ空気に包まれ、全世界が、つぶれた空き缶と魚のウロコと腐ったキャベツの芯でいっぱいのゴミバケツになってしまったとしか思えなかった。》(「不愉快な警告」より)

《(前略)結局のところ、彼は私の個人的な敵などではなく、私自身の投影なのではないか、ひたすら破壊に向けて突き進むこの世界の残虐さに私自身を同一化した、その顕現なのではないかということだった。(後略)》(「終わりはない」より)

 本作には明快な物語を楽しむような面白さはなく、ひえびえとした世界がこういった凄まじい痛みを持った言葉で綴られている。ただその世界はあまりにも美しい。その痛みをともなう美しい世界に酔いしれている自分がいるのだ。

 安易な理解を拒む本書を明確に読み取れているとは思っていない。ただ「よく分からないけど、すごいな、これ」という感覚を私は抱きました。もしかしたら投げやりに聞こえるかもしれませんが、そういう感覚を抱くことってないでしょうか。たとえば絵画を見て、言葉にできない感動を覚える、とか。私にはそれで充分でした。特にすこし長めの表題作以上に、掌編小説が印象に残りました。

 現世への愛と憎悪を超越して創り出した、どこまでも美しい虚構。

 言葉を拾い上げていくことに面白さを感じられるかたに、ぜひ読んでもらいたい一冊です。そして併せて代表作の『氷』も読んで欲しい作品です。終わりゆく世界と薄幸の美少女への深い思慕を描いた作品なのに、そういったテーマから容易に連想される涙を誘うような深い感動や甘いロマンスを一切感じない、本書解説で《十四篇の作品は、アンナ・カヴァンの、いわば「叫び」でした。やかましい悲鳴ではない。その叫びは、美しい歌になります。》と書いていますが、その表現は『氷』にも通じます。『氷』に関して言えば、美しい歌どころか、私には咆哮のようにさえ聞こえましたが、しかしとにかく美しいのです。

 ぜひ本書と併せて、ご一読を。