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柔らかく美しく、そして自然な感動  砥上裕將『線は、僕を描く』

《「おもしろくないわけがないよ。真っ白い紙を好きなだけ墨で汚していいんだよ。どんなに失敗してもいい。失敗することだって当たり前のように許されたら、おもしろいだろ」》

 いつもお世話になっております。書店員のR.S.です。今回紹介するのは、第59回メフィスト賞受賞作、

 砥上裕將『線は、僕を描く』(講談社)

 『ハサミ男』『煙か土か食い物』『すべてがFになる』など、(応募要項ではミステリ以外のエンターテイメント作品も対象になっていますが)受賞作に名作・怪作ミステリが多いメフィスト賞ですが、本書はジャンル的には広義のミステリにも当てはまらない、ストレートな青春エンターテイメントであり、メフィスト賞ではある意味、異色な作品と言えるかもしれません。(絶対にミステリしか読まないという人以外の)物語好きなら、読んで損はしない傑作だと思いますが、そこは注意したほうがいいかもしれません。もしかしたらミステリなのかも、と変に身構えてしまっても良いことはないでしょうし……。

 ※ネタバレはしないつもりですが、読む楽しみを奪われたくない未読の方は、ご注意を。

〈自分探し〉の旅と聞くと、多くの人は単身で海外に赴くような姿を想像するのではないでしょうか。もちろん見知らぬ異郷での出会いによって、自己を見つめる行為は〈自分探し〉の旅としか言いようがないものですが、必ずしも外へ外へと向かう行為だけが〈自分探し〉とは限らない、ということが本作を読むと、強く伝わってきます。

《「現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に宇宙はないのか?」》という台詞が作中に出てきますが、青山君が水墨画を通して自分の心の内側を探っていったように、本書を読むことで読者が心の内側と向き合う行為もまた〈自分探し〉の旅と言えるのではないでしょうか。遠くへと行くだけが、旅ではないのです。

 砕け散った心の破片をゆっくりと拾い上げて繋ぎ合わせていくように、空虚な生活を送っていた青年が水墨画と出会い、変化していく物語です。喪失と再生を描いた青春小説と聞くと、既視感を覚えてしまうかもしれません。ただ「良くあるタイプの小説」と感じて読み逃している人は、本当にもったいないことしてますよ。良質、という言葉がこんなにも似合う青春小説もめずらしく、こんな素晴らしい青春の煌きを残りの人生で後何回読めるだろうか、と思わず不安になってしまいました。

 青山君と千瑛の賞を賭けての勝負に向かって物語は展開していくわけですが、いわゆる〈スポ根〉的な勝ち負けのために技術を磨いていくような作品ではなく、水墨画を通して自己を見つめることに重きをおいています。だからこそ物語の後半、ある登場人物が心に秘めていた想いを吐露する場面に心打たれるのだと思います。抱く印象的には、宮下奈都『羊と鋼の森』や小野寺史宜『ひと』に近いのですが、この二作も素晴らしい作品ではありますが、個人的な好き嫌いで言うなら私は本作に軍配をあげます。

 物語を読み終えた後、その先の物語を想像して微笑ましい気持ちになりました。柔らかく美しく、そして自然な感動。一読忘れられない余韻にずっと浸っていたいような気持ちになりました。