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ミステリ作家を信用してはいけない   道尾秀介『いけない』

 本書は「弓投げの崖を見てはいけない」「その話を聞かせてはいけない」「絵の謎に気づいてはいけない」の中篇くらいの分量の三つの章とエピローグ要素の濃い第四章「街の平和を信じてはいけない」の四章構成になっています。

 目が覚めている状態で見る悪夢に苦しみながら、ゴールのはっきりとしない迷路を彷徨う。本作は結末の衝撃がすとんと腑に落ちる形にはなっておらず、どちらかと言えば、もやもやとした感覚が残る作品になっています。そのもやもや感を解消しようと、読者は再読を促されます。読者自身に探偵であることを求めるような小説です。

 それまで見ていた世界が唐突に変わった、という衝撃ではなく、これだけ世界が変わってしまったように見えるのにその世界は何も変わっていなかったという事実に気付かされる、という衝撃。世界が変わったのではなく、その世界を見る人間の見方が変わるのです。そして何よりも、良質な物語の中にいくつもの仕掛けを違和感なく施せる作者の技巧、技術に衝撃を受けます。

 読者を欺くその技術……優れたミステリ作家を信用してはいけない。

 もちろん誤った読み方をしてしまっている可能性はあり、それが正解なのか不正解なのかを〈完全に〉知ることはできません。私なんかは〈犯人当て〉ミステリや推理クイズで一度も正解したことがないような人間なので、的確に読み取れている自信は全然ないのですが、それでも改めて読み返しながら自分なりに答えを探していくのはとても楽しく、自分なりの答えが見つかった時には不思議な達成感があります。一筋縄ではいかない異色作のようでいて、自分なりに謎を解いていくそれはミステリの原点のような楽しさを持った作品なのかもしれません。他者への憎しみ、幼さ故の残酷さ……物語自体の怖さもそうですが、真相を読者自身に読み解かせる本作には、作者に試されているという怖さもあります。

 そして最終章の結末をどう捉えるか、人によって捉え方が分かれそうなラストです。それを美しいと捉えるか、怖いと捉えるか。読者に委ねるようなラスト、私はとても好きです。

 ぜひ、ご一読を!