鳴き声も残さず、カッコウは【掌編小説(約3100字)】
かんこどり【閑古鳥】
1、カッコウの異称。2、寂しいことのたとえ。「今は――が鳴く〔=さびれている〕(ような)ありさま」――『新明解 国語辞典 第八版』
「閑古鳥って、結局はカッコウのことなんでしょ? 不吉じゃない?」
彼女がマスターに想いを寄せていることを、そのカッコウは知っていました。彼女がその喫茶店を訪れる理由はそれ以外にはありません。常連さんと呼べるお客さんは彼女くらいで、一見さんも滅多にいません。いわゆる閑古鳥が鳴く、と言われるようなお店です。すこし割高ですが、それなりに味も良く、賑わっても良いようなお店ではありましたし、元々は一目惚れで、マスターを目当てに通い詰めていた彼女でさえも味が気に入り、仮にこのお店にマスターという存在がなかったとしても通ってもいいかな、とすこし悩んでみるくらいの愛着をいまは持っています。とはいえ、きっとマスターがいなければ、こんなに遠くまで彼女が足を運ぶことはないでしょう。
喫茶店の前の看板には【寄り道】と控えめに店の名前が記されていて、実際に訪れたことのあるひとでさえ、店の名前は知らないまま、というのがほとんどです。店の名前と同様、目的地にはなりにくいのかもしれません。
そのお店に一羽のカッコウが羽を休めて、それからはまるで常連客のように顔を見せはじめたのは、七年前からでした。
「そうかな? こんなのは考え方ひとつで、どれだけでも変わるものだよ。もしかしたらお客さんがすくなくて寂しがっているぼくを、この子がいつも慰めに来てくれているだけなのかもしれないよ」
「本当、プラス思考よね……。いや、お客さんがすくないのは認めた上での、プラス思考って、店主として、どうなの?」
「そういう性格でもなけりゃ、こんな静かな場所で喫茶店なんかはじめないよ。まぁ趣味みたいなもんだからね」
「まっ、その性格が魅力でもあるんだけど……」
彼女が小声で呆れたように言って、ひとつ息を吐きました。
「んっ、何か言った?」
「別に、何も」
毎年、夏の時期になるとそのカッコウは【寄り道】を我が家のようにしてくつろぎます。同じカッコウかどうかなんて鳥に無知の、人間のマスターには見分けなんて付かなさそうなものですが、この子、と呼ぶようにマスターはいつも同じカッコウが訪ねてきてくれている、と思っていました。勝手な想像でしかないのですが、実際にその通りでした。
カッコウの一般的な寿命を考えると、随分と長生きな、カッコウです。
マスターはカッコウの顔を指で撫でながら、慈愛に満ちた眼差しを向けました。彼の行為に嫌がる素振りもなく、その指先を受け入れる姿を見ながら、彼女の胸の奥が、ちりり、と痛みます。
「そんなに、その子が好きなら飼えばいいじゃない」
と彼女は疼きが表情に出ないように、だけど無意識に投げやりになった口調で、今まで疑問に感じていたことを口にしました。
「野鳥を飼うわけにもいかないからね。それに仮に飼えたとしても、飼わないかな。鳥籠に入れるよりも、自由に飛び回りたいだろうしね」
「そっか……。でも、自分の大好きな相手を縛り付けたくなったりすることってない?」
「考えたこともないけど、きみはあるの?」
彼女はマスターよりもすこし年下で、マスター自身に彼女と同い年の妹がいたこともあって、まるで妹のように彼女と接していて、そのことが彼女にとってはとても不満でした。
きみ、という呼称も、その距離感の表れみたいに感じられて、彼女は何度も名前で呼ばせようと仕掛けてみましたが、恥ずかしい、という理由でいつもかわされてしまいます。
出会ってから変わらぬ距離感に安心感を抱くとともに、もどかしさや焦りに彼女が悩んでしまうのは無理もない話なのかもしれません。
カッコウが、ふたりの姿をじっと見つめています。
「もちろん、あるよ。あるから言ってるの」
「意外……、って言ったら、失礼だったね。でも、長い付き合いだから、結構きみを知ってるつもりだったんだけど、きみにそんなところがあったなんてね。あ、いや、気分を悪くしたなら、ごめん」
「事後承諾で謝らない。別にそれくらいで怒ったりなんてしないよ。どれだけ近い相手でも、相手のことなんて一割程度しか分からないものなのよ」
「それは誰かの名言?」
「私の名言。いま作っただけ」
「じゃあぼくもきみのことを、一割しか知らないわけだ」
ふいの言葉に、彼女はどきりとしてしまいました。つまりそれはマスターの近い関係のひとの輪の中に彼女の存在を入れている、という意味でもありましたから。
今日こそは……。
今日は、彼女にとって何度目になるか分からない覚悟を決めた日でもありました。長く続いた関係に変化を加えるのは、行動的、積極的な人間であっても、中々に難しいものです。特に彼女は、他人が思うよりもずっと臆病な性格でした。だけどそろそろ決着をつけなければいけない、と彼女は感じていました。時間は、いつまでも待ってくれるわけではありません。
きゅるる、とカッコウがちいさく鳴き声をあげました。
マスターの言葉とカッコウの鳴き声は、閑古鳥の鳴くふたりと一匹しかいない空間で、想いを伝えようとする彼女の後押しになりました。
「結婚しませんか?」
「はい。よろしくお願いします」
「……あの、ね。こんなにも唐突な告白なんだから、もうすこし戸惑うなり、驚くなり、あったりするもんじゃないの」
「なんとなく、予想は付いてたからね。あぁ、何か言おうとしてるんだろうな、って。きみが悩んでいるのは気付いてたから、本当はぼくのほうから言えば良かったんだろうけど、ね」
「言ってよ」
「いや……、気のせいの可能性だってあるしね。それにぼくはぼくで結構、悩んでいたんだよ。ほら、ぼくはこんな寂れた喫茶店のしがないマスターだし、人付き合いも悪いし、特別なステータスがあるわけでもない。独りの時は、こんな性格だから、まぁあんまり気にしないけれど、誰かと一緒になる、って思うと、やっぱり考えちゃうよ。きみは――」
「……そうか、あなたは誰かの存在が介入すると、考え方がマイナスに転じるわけだね。あなたを知っている割合がまたすこし増えた。のんびり屋同士なんだから、お互い考え過ぎは毒になりそうだ」
きゅるるる、とカッコウがまたさっきよりも大きい鳴き声をあげました。
「そうだね。とりあえずは」マスターが手を差し出すと、彼女はその手をじっと見つめた後、ぎゅっと握りました。「これからも、よろしくお願いします。あっ、でも、付き合ってください、を飛ばして、結婚してください、から、はじまるとは思ってなかったな」
「うるさい。これでも、どう言うか、かなり悩んだんだから」
ふたりの姿を見守っていたカッコウは、握手をしていた手が離されるのとほぼ同時くらいに、羽を広げたカッコウが鳴き声ひとつも残さず、開いた窓の隙間を縫って建物の外へと飛び立ちました。ふたりがその行動に気付いたのは、カッコウの背が目を凝らしてぎりぎり見えるくらいまで離れてからのことです。
「あの子、多分、もう戻って来ない気がするな」
「どうして?」
「ただの勘なんだけど……、きみはそう思わない?」
「すこしだけ分かるような気はするけど……、あ、後、きみ、は禁止。ちゃんと名前で呼んで」
夏の陽射しと緩やかな風を受けながら、一羽の夏鳥の飛行は続いていきます。
長い寄り道を終えたカッコウは、閑古鳥の鳴かない【寄り道】が賑わう未来を想像しながら自らの声を我慢して、これからの新しく羽を休める場所を探しているのかもしれません。
そうだったらいいな、と、その日の夜、ふとそんな考えがマスターの頭に浮かびました。
【了】