noteがきっかけで読んだ作品③    「背仲」

 まとまった時間が取れた。私には読みたい本が溜まっている。観たい映画も溜まっている。仕事のために読まなければいけない本も、実は存在している。しかもその本には締め切りまである。だからnoteで他の人の作品を読む時間をすこし減らそう……と思っていたのに、気付けばずっとnote創作の海を泳いでいる。

 そのため、私は一部の方に大量の痕跡(スキ)を残してしまいましたが、以前の投稿でも書いたように、見返りを求めてのものではなく、本当に好きで読んでいるので、負担やプレッシャーには感じないで欲しいです(汗)
そんな私の日常生活を妨げるような悪魔的魅力を持った作品をレビュー形式で紹介するコーナーの第三弾(毎回書いていますが、転載禁止や批評禁止の場合は投稿後でもすぐに対応しますのでお伝えいただければ幸いです)。前回から約3週間ぶりになる今回紹介するのは、Koji様の『背仲』です。

 そして私は今、ほとんど勢いでこの記事を書いています。しかし同時に強烈な不安も覚えています。比較的自分のことをジャンルにこだわらない読者だとは思っているものの、虚構性の強い作品が読書の中心である私にとって、いつも以上に物語の本質を汲み取り間違えているのではないだろうか、という不安がありました。それでも私はこの作品が好きになり、どうしてもこの作品について語りたかった……。

 ネタバレなどには出来る限り配慮しますが、未読の方はご注意ください。そして未読ならば、こんな賢しらな駄文に付き合うよりも、作品に寄り添うことをおすすめします。

《何かを見たくない時、何かから離れたいとき、絵はいつも自分の逃げ道となった。人生でたった一度きりの褒められた記憶を呼び起こし、自惚れさせ、自身が夢追い人であるという錯覚を生む。》

《何かが変わる瞬間に立ち会うのが苦手だった。自分の言葉によって未来が曲がる瞬間。光が屈折するように、思いもよらぬ方向へと進路が切り替わってしまう瞬間。でもきっと、自分の足で歩くということは、そういうことなのだ。》

 安易な同情を拒むかのような語り手の剥き出しの内面描写が、まず印象的です。

 作中の文章を抜き出す際に、一切の不安を覚えない時と抜き出した後も迷いが生じる時がありますが、本作は私にとって後者に当たる作品で、その意味では言葉を選び取る愉しさに満ちた作品と言えるかもしれません。実は物語後半部分にも抜き出したい文章があったのですが、読む愉しみを奪わないため、引用はしませんでした。

 テーマが最初から分かりやすく提示されることはなく、そしてそこに〈こうあるべき〉というような押しつけがあまり感じられないことにも好感を抱きました。作中の描写に痛みや苦しみを感じたとしても、決して物語自体への嫌悪に繋がらない魅力があります。

 孤独な少年の、少女との出会いを描く、
 ボーイ・ミーツ・ガール。

 そんな言葉から想起できるような甘やかな雰囲気は本作にはありません。しかし〈彼女〉の輪郭さえ曖昧なまま続いていく物語の果てで、間違いなく痛切な恋愛小説であり、ボーイ・ミーツ・ガールの物語と確信する瞬間が訪れるのです。〈綺麗〉ではない昏い情景の終わりに見る、温かな光に救われた気持ちになるひとは多いのではないだろうか、と思います。

 Koji様、勝手に感想書いてすみません……。

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