疑問は日々やってくる。永遠に解かれなかったとしても。 ちょっとだけ自然郷本醸造さわやか
どうもこんばんは、りょーさけです。
ここ最近2日で1本のお酒の魅力を伝える記事を書き続けてきました。
ありがたいことに「良かったよ!」という反応もあり(主にTwitterですが)、とても嬉しかったです。
ですがもう限界です。
今日は以前みたく、とりとめもない疑問をただ書き連ねる記事にさせて下さい笑
どういうわけかはわからないのですが、私は時にあれこれ叫ぶだけの言葉を綴りたい欲求があるようです。
ということで今日は脈絡のないことを書くだけの回にします。よろしくお願いします。
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結局日本酒って何が面白いのだろう。いや、これは面白くないと言っているのではないです。これをさあ、人に説明しようと思ったら、「おいしいんです!」「大切なんです!」っていうのを手を変え品を変え伝えるしかない。
(自分が楽しめればいいんだよ、という人はいる。もちろんそういう人にとっては、それでいいんだろう。僕も基本的にはそういうふうに思っているのだが、時折そうでない場面が来る。つまり、自分のためではない一般の人、世界にとっての日本酒っていうのが登場する場面が必ず出てくる)
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自分が詩と酒を好きなことには、どこかで接点や必然性があるのだと思っている。必然性を見つけたいだけなのかもしれないが、しかしあるのだ。
たとえば僕は最果タヒさんの詩がとても好きだ。一見僕の生活や生きるリズムとはなんの関係もないが。ある時に重なる。
そう、そのある時が日本酒を飲んでいるときなのだ。
あの、眠れず布団にくるまってスマホを見ている女の子がぼんやりと外の世界のことを頭の中と画面の中で考えているときの息遣いまで聞こえてくるかのような表現。
あの唯一の時を真空パックして文字化したような表現が、日本酒の表現になんとしても必要な気がする。
そんなふうに思っているのだ。
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ここに来て普段何気なく家で合わせている料理と酒が、その8割程度相性がそんなに良くないことがわかった。
どうやっても東京で何度も見た輝きには迫れない。
どんな小さな光にもならない。
灰色だ。
これは個人としては全く幸せのエリアから遠ざかってしまったように思える。
それを楽しむために本来客観的な視点というものは不要だからだ。(より高度な楽しみ方を個人的にもしたい場合は話が別だが。)
第一が普通の意味では、大体の酒は大体の料理と喧嘩はしない。
たぶんこれは特殊な領域なのだ。
頑張りたい。酒を、食べ物を楽しみたい。
新たな知から、新たな体験の奥行きが生まれる。
自分が最終的にどんな形で酒を呑むのかはわからない。もしかしたら飲まなくなるのかもしれない。まあいい。
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自然郷さわやかがここに来て全く違うと言っていいくらいのお酒に変貌。
初期のアルコール添加感はどこへやら。
香ばしバナナ感あふれる良き意味で中庸な酒。しかもこれで1000円しない。
(世の人が日本酒は安すぎるという愚痴をこぼすのがよく分かる)
このお酒も人の縁があって購入したものだったか。
そうか。
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いかなる形に落ち着こうとも、たとえ酒を飲まなくなっても人とはつながっているものなのだ。そしてその人とコミュニケーションを取るには言語しかない。
ああ自分の思うものを思うように書き表せて誰かから少しの反応でももらえたら。
そうか。だからお前は言葉と人に入れ込むのか。
それでいいと思う。
いいと思うよ。
自然郷は素晴らしい。乾杯!
酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。