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おはようめんつゆ、おやすみめんつゆ。

めんつゆに感動したとき人生が変わった。

いや、そんな軽率な発言が、そんな人生があるわけがない。これは誇張だ。胡蝶の夢だ。いや違う。確かにあった現実の残滓。頭や身体のどこかに眠っている、おぼろげな残像…。

とか突っ走って書いても、何一つ伝わらないので整えていきますね。

プルースト効果というものが、ある。
香りがなつかしい記憶を呼び覚ます現象だ。

高貴な方の場合は紅茶やマドレーヌの香りで過去のイントロが流れ始めるらしい。それはそれは喜怒哀楽に満ちたお高い記憶なのだろう。

私の場合はめんつゆが過去を運んでくる。
香りがだるい朝と夜を連れてくる。

今日の夕方中途半端に食欲を抱えて、妻と何を食べるか迷った。
迷った末にパスタにした。レンジで温めた。この時点でなにか懐かしい。

温まった。

鮭フレークを入れた。マヨネーズを入れた。ごま油を入れた。胡椒を振った。混ぜている…。あ。

気づかないうちに、めんつゆを入れていたことに気がついた。
パスタをレンジで茹でたらまずめんつゆを反射で入れていた。

茹でた湯を捨てることもせずに。だってそれが当たり前だったから。

それらを混ぜるときに香る少しオイリーで生臭い香りが、過去を運んでくる。

留年して就活に失敗した時期があった。
何度も述べているので耳タコかもしれない。

同じ過去でも見つめるたび違った表情を見せるのはなぜだろう?
「私が成長(変化)しているからだろうか?」という言葉で済ませたいけれど、そうではないような気もする。

答えはないんだけれど。

今もわからないから、私はとりあえず対して魅力的でもない空想のタンスの引き戸を引いている。宝はあるのか?

その時代、就活に失敗し続けている時代、私は朝遅めに起きて飲酒を始めて一日中ニコニコ動画を見ながらゲームをし、夜になると後輩の家に行って朝まで飲んだくれるという生活を続けていた。

あと、失恋もしていた。

ということで、後輩に毎晩毎晩話す内容はもう想像に難くないと思う。
元恋人をこき下ろしたあとに、泣きながらその人のいいところを語って。

ああ今日も一日が過ぎたことを全身全霊で後悔する。
といっても毎夜友人と酒で拭えるくらいの悲しみは実はそんなに大したことがなくて、本当にきついときって一人で布団に潜って真っ暗な中にいたりするのだけれど。

今現在自分の目の前には6ヶ月弱の幼子が泣いているが、まあその叫び声と対して変わらない感じだった。なんて迷惑だ!

酒を飲んだ。話した。寝た。公園へ行った。河原へ行った。酒を飲んだ。
目に見えるすべてを明るく呪っていた。妙に笑いの多い毎日だった。

寝る前は不安になって必死に「2ちゃんねる 笑えるスレ」「2ちゃんねる 秀逸な返し」と検索して、1時間位笑ってから寝ていた。馬鹿とけむりは高いところが好きというが、現代のバカは光が好きらしい。

面白さとか、良さとか、そういうのが分からなくなっていたから、それを自分で決められなくなっていたから、とりあえず半径三メートルで手に入る最大公約数的な陰の楽しさを探していた。明るい陰だ。なんて眩しいんだ。

これはまさに、飛んで火にいる夏の虫。過去は炎。

そして、そんな日々を過ごす僕の隣にはめんつゆがあった。カツオだしが好きだ。昆布が強いと今でも蒸せる。しいたけが強すぎるのも苦手だ。カツオだけは突出して場違いに強くても許せる。

自分の一番ダメな時を支えてくれた恩人には、人間頭が上がらないらしい。

朝起きて飲酒すると言った。鳳凰美田の一升瓶。仙禽の四合瓶。鶴齢の四合瓶。懐かしいなあ。今でも日本酒界で疾走している蔵ばかりだ。

空きっ腹で飲む鳳凰美田がうまかった。

特級品ではない。その当時で一升二千円くらいの、うすいオレンジのラベルの鳳凰美田だったと思う。

いい香りがする甘いお酒だ、と思っていた。当時は。
この前東京でも飲んだ。
いい香りがする甘いいいお酒だ、と思った。今は。

酒をぐい呑で二杯飲むと、レンジで温めていたパスタが茹で上がる。
さっき述べたのと同じ手順で調味料を入れていく。めんつゆが最初だ。

全部の調味料は適量だ。

不安定な時期の自炊飯は適量だ。それが心の現在地だ。
大さじ小さじで味を決めたりはしない。
心の大波小波に合わせためんつゆが、マヨネーズが、鮭フレークが百均で勝ったパスタ茹でプラケースに入っていく。

全然片付いてないテーブルの上に、一升瓶とぐい呑で狭くなったテーブルの上にパスタがやってくる。酒を飲みながらゲームはできるが、パスタは伸びるから食わねばならない。

しばし麺をすする。めんつゆが香る。

ちょっと物足りない。ごま油をかける。物足りない。とろけるチーズをかけて二十秒位まつ。その僅かな時間でもゲームをしようとする。その無駄のない手順でエントリーシートをかけ。

エントリーシートを書くのが嫌いだ。全部捏造で俺じゃないものを書き上げるのに字が下手だという理由で他の人の数倍時間がかかってた。

嫌いだ。

めんつゆが香る。鰹だ。落ち着く。思えば偏食だった小中校の時代にも鰹の香りがする味噌汁は好きで食べていた気がした。パスタが伸びてきた。なにか足りなかった。醤油を入れた。美味しかった。パスタがなくなった。著がある。

汁をすすった。今日も晩は後輩の家に行くのか。ゴメンなOくん。頼りきりだ。

パスタは伸びたが熱い。汁は濃い。飲み干すとちょっと頭がクラッとするやつだ。濃いな。しかし飲む。飲み干した。

ぐい呑の鳳凰美田。

なんていい香りがする甘いお酒なんだ…。
さあ一日が始まる。今日もニコニコ動画になぞってゲームをプレイする。眼の前の画面で攻略されているものを、もう一つの画面で攻略する。当時はテレビとPCモニターが目に前にあって、自分はパンツ一丁で一日を過ごしていた。

おいしかった。楽しかった。
自分と身の回りを低温やけどで焦がしながら自滅しているような快楽。

さあ今、いま現実のパスタをすすった。終わった。
目の前には一白水成。

ぐい呑を飲み干した。
なんていい香りがする甘くて、いいお酒なんだ…。

妻子がいる。明日は仕事だ。読みたい本がある。とりあえず来週分の食料を買いに出なくては行けれない。

めんつゆがつなぐ過去と今は、ちょっと重い義務だったり責任を僕にもたらして、きっとこれからも加速させていく。楽しさとか、切なさとか全部。

めんつゆと過ごすゆうべに、乾杯。
少なくなっちゃったからまた買ってくる。三倍濃縮のやつがいいな。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。