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セプテンバー、セプテンバーさん

暑い夏はすっかり疎まれるものになってしまったんだろうか。ここ数日の気温低下を喜ぶ声をラジオでよく聞きます。

わたし自身汗をすっごくかくので今の夏は流石に生活するのが困難です。家にいる日は一日4回位シャワーを浴びている気がする。車に乗ればエアコンをかけっぱなし。燃費が絶望的。坂道を登れない4人乗りの軽自動車で生命の嬉々を、いや危機を感じたことが何度あったか。

まあいいんです、こんにちは、セプテンバーさん。とりあえず光熱費を下げてください。お話はそれから。

セプテンバーさん、っていうときに頭にあるのは完全にこれ。

深海監督の映画作品とともにすっかり有名になったラッドウィンプス。初めて聞いたのは12年前くらいか。クラスメイトから「いいよこれ!」と言われてこの曲が入ったアルバムから聴き始めたような。確か3枚目のアルバム。1枚目と2枚目に比べると聴きやすい曲が増えたような。

結構突っ走る感じのロックバンドだった気がします。初めは。特に1枚目のアルバムは歌詞も歌声も結構尖っていて、若き日の突っ走り気味の自分でも「ナンジャコリャ」って思ったような。

ような、ととぼけたくなる今。なんだか曖昧な意識。なんか疲れてんのか。

9月は特別なのです。生まれた月だ。夏から秋のダイナミックな変化を感じる月だ。現在の職が閑散期から繁忙期へ移り変わる季節でもある。緑が赤黄色へ変わる。涼しさから、寒さへシフトしていく。

ものさびしいような、季節。

そんな「もの」さびしい(なんとなく寂しいなー)みたいな曖昧なものに振り回されずに、今やるべきことをやらなければ!と急かす心の中の誰かに、いつも「へえ、やることって、何?」と問い返す自分がいた。

高校の受験勉強もこの季節がある意味境目です。大学にしたって秋の始まりは卒論の大詰め。就活決まってない人は血眼。ちなみにわたしは全部フルコースで焦った人です。卒論が完成したのは提出日の朝。白い息が切れるまでチャリを漕いで大学の文学部へ走ったよ。職が決まったのは決めなきゃいけない年の年末。

ほら、そうやってやるべき時に生意気にも「へえ、やることって、何?」とか言ってるからそうなるのだ。それは分かってます。

そうやって子どもじみた問答を自分の中で繰り返しては、本当にただぼーっとしているだけなのにそれをも「風流だ」みたいな言葉でくくれてしまうこの秋っていう季節を眺める自分がいたような気がします、それって、逃げだったのか。なんなのか。

今年の秋は楽しいかな、悲しいかな、逃げられないような雰囲気があります。自分に関しても。家族に関しても。

今までちょっと曖昧に逃げていたような(!)自分を、今まで以上にたしなめる自分がいる。ああやらなきゃ、やらなきゃ。

そんな風に思って今日は本屋に行って息子の障害に関する情報を集める。部屋の整理整頓も重要らしいので、引っ越しの時運び込んで以来開けていないダンボールを片付けることにしました。ホームセンターでごついラックを買ってお家へ。途中でなんども「ほら、どんどんやるべきことをやらなきゃ」って急かされたけれど、反抗するようにラーメンを食べて道草を食う。麺を食うのか草を食うのか。草が大好きな息子なら迷うだろうが、わたしはラーメンを食べる。となりに香ばしい飯。

やらなきゃ、と、へえの真ん中でわたしはこれからも生きるのだろうね。そんな風に思います。

毎日総力戦だからと気づいたときから急かす自分も、反論する生意気な自分もみんな味方です。えっちらおっちら太ったアラサー男が自分と家族の快適さのために奔走できるように引っ張っていってほしいな。まるで他人事。まるでそんなもんのような扱うときがないと、重すぎて走れませんぜ。身体だけで重いんだぜ。わたしの体を作るのはラーメンだけでよくて、もはや憂いの居場所は盃の中にしかないのだ。

夏が散らかしてった心を
僕は紡ぐよ
さぁいざ行こう
そう今だから
この声だから
響くセプテンバー

声が響きだす
そこに意味はなくとも
君が笑い出す
そこに夏はいなくとも

馴染んだ味が一番なの?そうやって人は保守的になっていくの?

そんなことを思いながら、ラッドウィンプスはこの時期が一番好きです。セプテンバーさん、セプテンバーさん。この時期のラッドの言いたいことあるけどストレートには言わないよ、こんな感じでわかってね、くらいの歌詞の距離感がスキ。

セプテンバーさん。

嫌われながら頑張ったオーガストさんによろしく。

ハロウィンオクトーバーさんに、てめえはまだはえーよ、と取り急ぎお伝え下さい。なんだかんだ息子がかわいい小太り男より。



酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。