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なんで酒で詩を書くのだろ、自分でもわからないけど

どうもこんばんは、りょーさけです。

今日は詩についての文章をほんとに短めに。

以前からSAKETIPSという日本酒関係のメディアに詩を寄稿しています。今回は愛知県の日本酒「義侠」を題材に書いています。最後の方にリンクを載せておきます。

わたしは怠惰なジャパニーズなので英語が使えません。上記のSAKETIPSは日英両方で記事を載せています。ということでわたしは日本語で書いて、ネイティブの方に翻訳を頼んでいます。その翻訳が滅茶苦茶格好いいのでそれだけでも読んでほしかったりするのですが…笑

わたしが書くものは普段から怒りに満ちていたり、無理やりなロジックで言いたいことを言っていたりしているのであんまりウケません。「なにアレ?」ってリアルの知り合いに言われることも多いです。ただこの日本酒の詩、酒詩って呼んでますけどこれは文句が来ません。何故か?たぶん意味がわかんないからです。

酒なら味書けばいいじゃん、と思ってる人が多いんじゃないかと推測しています。まあ何でもよいのですが。

ということで、なんで酒で詩を書いているのかをちゃんと言っていこうと思うわけです。しつこく。何度も。これはその一回目です。はい初回なのでまだしつこくなってません。今日見た方はラッキーです。

酒で詩を書くのは色んな理由があります。その中で一番大きい理由は、まさにさっき言ってた「酒といえば味」の枠組みを相対化したいからです。

酒はもちろん味や香りを愛でるものです。それをするな、とか言いたいのではありません。ただ、それだけじゃないよね、と言いたいのです。酒から受け取るものは。色んなものから影響を受けて、酒を飲んでいるときの自分の魂へのインパクトは形成されるわけです。酒を飲む場所、シチュエーション、提供者、合わせる料理、生産者のキャラクター、器、温度、自分の感情、体調…すなわちまあ、すべてです。味だけじゃ語れないその瞬間。むしろ味以上になんかが伝わるその瞬間を、つかまえたい。

そういうつもりで書いています。だから細かく言えば「ここは○○が反映されてて、そこは□□がまざってて…」とか言えなくもありません。でもそれ言ったら解説になっちゃって詩のダイナミックな言語体験が失われるのでいちいち言いません。

はい、以上。これからはこういうのを何度も何度も語ろうと思います。もちろん今までみたいな四方山話も書きますが。ということでよかったら読んでね。リンクを載せます。酒詩以外の記事も他のメディアにはないテイストのものが多いよ。ということでよろしく。SAKETIPS。あと酒詩。

http://saketips.love/poetry003_jp/

http://saketips.love/poetry003_en/

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。