生徒会長がひきこもって社会復帰するまでの話。vol.1

私には、いわゆる「青春」がありません。

今でこそ、サラリーマンをし、
結婚もし、二児の父になり、
それなりの生活をしている私ですが、
5年間のひきこもり経験があります。

中学一年生からの5年間のひきこもりを経て学んだこと、考えたことを
自己紹介代わりにつらつらと書いていきます。

ひきこもりとは

ひきこもりにどんなイメージを持っているでしょうか。
暗い、気持ち悪い、長髪、すぐキレる、根暗、、、、など、
がすぐに思いつくところかと思います。

できれば、関わりたくない、見たくもないという方もいるかと思います。
甘えているだけ、親の脛齧り、コミュ障という辛辣な意見もあるでしょう。

私もひきこもりになる前は、
自分がそうなるなんて想像もしていなかったですし、
何なら、辛辣な意見側の人間で、全く理解できない存在でした。

でも、何かの拍子にうっかり、誰でもひきこもりになり得ます。

ひきこもりになった人たちは、
色々な理由で、家から、あるいは、
自分の部屋から出られなくなっています。
社会で生きていくことは、とても複雑です。
正解のない毎日です。
人は複雑なことが嫌いです。
だから、それから外れることなんてとても簡単です。
ちょっとしたきっかけで、思いもよらず落とし穴に落ちます。

私は、運良くひきこもりから「脱出」しましたが、
社会から外れて戻るというのは本当に難しいです。
複雑で正解のない毎日に戻ることの難しさ。
一瞬、とてつもない力が必要です。
感覚的には、休日のベッドから二度寝しないように起き上がる、
あのときに似ています。

私の場合、青春時代がないのはまあまあやばいと思いつつも、
もっと長い間、社会から離れている人は、
もう戻るための力もなく、ただただ生きている状態になっています。

ひきこもりは、人の本質との戦いです。
本質を見てから「脱出」した後は、
ほとんど失うものがなくなり、
学校、仕事、家庭で起きることに過剰な反応をしなくなります。
ほぼ無敵で、ストレスコントロールマスターです。

私がひきこもりになるまでのこと

私は、名古屋のごく普通の家庭に生まれました。

親のDV、学校でのいじめなどの壮絶な過去が、、と
想像する方は多いかと思いますが、
全くそんなことはないです。

あたり前に幼稚園、小学校に通い、中学受験までさせてもらいました。

幼稚園のときは、ハーフっぽい顔立ちだったこともあり、
モテの全盛期でした。
小学校のときも毎年チョコは複数個もらっていました。
(すいません、読むのやめないでください。意外とここが大事です。)

小学生の時には、児童会長、いわゆる生徒会長をやりました。
1年後にはひきこもりになるなんて思いもせず、
全校生徒の前でスピーチをしていました。
でも、スピーチでうまく言いたいことを表現できず、
恥ずかしがりながら喋っていた記憶があります。

中学受験のために塾にも通わせてもらい、
成績もそこそこ優秀でした。
スポーツはあまり、、でしたが、
成績がそこそこよかったことと、
毎年学級委員で、生徒会長にもなったというので、
自分はクラスの中心的な存在だ、なんて、
頭の中で考えていました。

じゃあ、中学に進学して何かあったのか、と思うところですが、
進学後の生活もそこそこ順調でした。
中学受験は第一志望には落ちたものの、
そのおかげで、進学した学校では成績はまあまあ上位でした。

気のおけない友達も何人かいて、
とにかく好きなことに興じていました。
ゲーム好きだったので、
学校帰りにゲーム売り場の試遊台で友達と3時間過ごしたり、
公園で爆竹鳴らして怒られたり、
鍵のかかっていないチャリを集団でお借りしたりしていました。
(20年前のことです。)

うん、お前の幼少期のエピソードはわかった。
で、ひきこもりの話はどうなったのか。
とお思いかと思います。

なぜ私はひきこもりになったのか。
それは正直、今でもはっきりとはわかりません。

中学一年生のある日、
学校へ行こうとしたときに、
靴の履き方がわからなくなりました。
少し前から、
階段を降りるときに足の出し方がわからなくなったり、
周りの人たちが何を考えているのかがすごく気になったり、
頭がパンクしそうなほど色々考えるようになっていました。

ひきこもりになった理由

なぜ、私はひきこもりになったのか。
なぜ、靴の履き方がわからなくなったのか。

一番大きな理由は、
通っていた学校が男子校だったから、
だと思いますが、、それはさておき。

概して言えば、私のプライドのせいです。

急に何を言っているんだと思うかと思いますが、
プライドのせいでひきこもりになる人は少なくないと思います。

学校に行けなくなったとき、
私は学校に魅力を感じなくなっていました。
確かに友達はいて、
一緒に過ごす時間は楽しかったです。

でも、自分ひとりで過ごす時間のほうが楽しかったんです。

自分の世界で生きていると、誰も否定しにきません。
自分の中で、自分が自分と議論した結果が、
常に正解になります。
その状況が、表現が悪いですが、
麻薬のような幸福感をもたらし、
自分の心を縛り付けていきます。

これが私の落とし穴です。

私は結局、プライドが高い人間でした。
容姿も成績も悪くなく、
生徒会長をやるほどに目立つのが好きでした。
小学生から中学生まで、
全てが思ったとおりに上手くいくと思っていました。

上手くいかないかもという時もありましたが、
都合よく目をそらしていました。
全校生徒の前でのスピーチで、
うまくしゃべれなくても、
ごまかして、上手くいったと考えていました。

ひきこもりになった後の先生との面談で、
自分のペースで学べないのが嫌だと言っていました。
学び方さえも、自分が正解だと思っていました。

これは、今でも引きずっているところもありますが、、
大事なところであえて一歩引き、
相手の反応でプライドが傷つないように言葉を抑えていました。
それが、自分のスタイルであると思っていました。

自分の正解が正解でないと気がつきかけたところで、
私はそれに耐えられなかったのだと思います。

上手くいっていると思っている人ほど、ひきこもりになりやすいなって。

今回は、ここまでにします。
次回以降、ひきこもりの生き方、社会復帰までのこと、
今の思いなどを書いていきます。

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