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読書感想文的な37『夫のトリセツ』黒川 伊保子

「話が通じない」「わかってくれない」「思いやりがない」「とにかく気が利かない」……
腹立たしい夫を見捨てる前にこの一冊。
今度は脳科学から男脳を解明。
夫婦70年時代のバイブル。

決して夫の取り扱いに困ったわけではない。
トリセツシリーズがわりと好きで、何冊か読んでる。
今回「夫のトリセツ」を読んで1番最初に思ったことはお義母さんありがとうございますまじで!!!!だった。


男女の脳が科学的にちがうらしいっていうのは、最近では一般的にも広く言われてることだと思う。
男性は結論から話すとか、女性は共感してもらいたいとか。
脳みそがちがうらしいというのは理解しても、結果として行動まで全然ちがうっていうのは、考えたら当たり前なんだけど、なんかそこまでわかってなかったなぁという。

よくある車が故障で云々みたいなあれあるじゃん。
これ!

女『車のエンジンがかからないの…』
男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『…ライトは点く?点かない?』
女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
女『え?ごめんよく聞こえなかった』
男『あ、えーと、、ライトは点くかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『何の?』
男『え?』
女『ん?』
男『車のバッテリーがあがってるかどうか知りたいから、ライト点けてみてくれないかな?』
女『別にいいけど。でもバッテリーあがってたらライト点かないよね?』
男『いや、だから。それを知りたいからライト点けてみて欲しいんだけど。』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
男『だから怒ってないです』
女『何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?』
男『大丈夫だから。怒ってないから。大丈夫、大丈夫だから』
女『何が大丈夫なの?』
男『バッテリーの話だったよね?』
女『車でしょ?』
男『ああそう車の話だった』

これは極端だけども

こんな話の通じない人いる? って思うよね。
さすがにこれはあんまりだと思うけど、男女の脳の差異をぎゅぎゅっと煮詰めて要約すると、つまりはこういうことになるんだと思う。
女性側から予想する男性の返答の正解は「え、大変じゃん。大丈夫?車使う予定あったの?送って行こうか?」なんだと思う。(この男女が親密だとしてね)
察してが大爆発したらたぶんこうなる。書いてて恐ろしいな。
男性側からの正解ってなんなんだろう。
だってここでテキパキとバッテリーがどうとかって答えられる女は、そもそもしかるべきところに連絡すると思う。それか、(夫婦なら)うちの保険屋さんの電話番号なんだっけ? っていうシンプルな質問で終わる。

男性はたった一言、「大丈夫?」という言葉を挟み込めばいいと思うし、女性は解決してくれようとしてることを察するといいと思う。
共感するだけが優しさじゃない。共感されても車の故障は治らない。でも困った気持ちをいったん受け止めてほしい。



たぶん女性たち、妻たちがすべきことは、夫はわかってくれない! と憤慨することではなくて、夫の(男性の)愛情表現は自分とはちがうと知ることだと思う。

男性の愛情表現に「定番の繰り返し」というのがあるらしい。
毎日仕事に行って家に帰ってくる、とかそういうの。
は? 生活の一部では? 逆に家に帰らんならどこに帰るつもり?
それで愛情とは一体どういうつもりで生きてらっしゃる、世の夫たちよ。
でも脳科学的に言うと、狩りをする仕様の脳みその名残が、この文明の時代にも残っているらしい男性の脳。
狩りに行くって考えると、毎日同じ場所に帰ってきてくれるという行為は、もしかしたら尊いものなのかもしれない。
今もう令和ですけどね。
狩りの時代に毎日ちゃんと帰るなんて命がけだもんね。
今もう令和だけどね。

これを踏まえると、夫が毎日ちゃんと帰ってきて、ごみ捨てを己の定番としてやってくれているのは、もしかしたらとてつもない愛情なのかもしれない…!
しかしわたしは帰宅することやごみ捨てで愛情を感じたことは、ない。
わたしの脳みそは女の脳みそだから、あるわけない。すまんな、夫よ。感謝はもちろんしてるよ。
「定番の繰り返し」が愛情なら、毎日仕事から帰ってくることも、帰るよと一言連絡をくれることも、ごみを捨ててくれることも、全部ちゃんと愛情として受け止めよう。
もしちがったとしても、愛情をたくさんもらったと思い込んで生きるほうが幸せだし。
これほんとに幸せに浮かれて生きていくコツなのかもしれないと思ったけど、夫の愛情からなのかどうかわからない行動は全て愛情からってことにしておこう。愛されてることにして浮かれよう、妻は。

まぁ正直、帰宅とルーティーンの家事、つまり定番の繰り返しで愛情を感じるのは、女性にとっては相当に難しいことのように思う。
でも考えて。
自分にとっては生活の一部でしかない定番の行動で、夫は勝手に愛情を感じているのかもしれない、と。
こんな愛情注ぎやすい対象なくない?
毎朝出勤するときに同じように見送るとか、そんな簡単なことでいいらしい。これはすぐに実行した。
洗濯物を干しながらだったり、歯磨きしてる途中だったりしたお見送りを、作業を中断して玄関まで行くことにした。これだけ。
トリセツによると、これだけで仕事モードにしっかり切り替えられるらしい。すごいな。
行ってきますのハグをすると事故率が低くなるとかいうけど、これも脳科学と関係あるのかな。

定番の行動を繰り返せば愛情を感じてくれるなら、家事はうってつけの愛情表現だなぁと思う。ラッキー!

これを書いてる今朝、お見送り玄関まで来なくてもいいよって言われたけどなっ!
なんだよ、喜んでなかったのかよ。まだまだ分からないことだらけだ。


冒頭のお義母さんありがとうの理由なんだけど、これは雑談力と共感力。
目的のないおしゃべりができるかどうかは、母と息子の関係性が大いに影響するらしい。

うちの夫は雑談が苦手ではない(と思う)。
これはお義母さんが「どう思う?」と子供のころにたくさん聞いてくれたからだというのがわかった。
お義母さんはよくしゃべる。よくしゃべるし、よく聞いてくれる。
きっと昔から夫にも「どう?」とたくさん聞いていたんだと思う。
いわゆる女性のおしゃべりみたいな、結論やゴールのない話を聞き慣れてるし、話すことにも慣れてる。

妻にとってこれほどありがたいことはないと、ようやく気付いた。
「今日ぼくお昼なに食べたと思う?」と会話を始めてくれる夫は、どうやらとっても貴重らしい。


さらっと読んだだけだから、さらっと忘れちゃったこともあるけど、「定番の繰り返し」が愛情であることだけは覚えておこうと思う。
なんだこいつ調子乗りやがってと思ったときも、毎日のごみ捨てをちゃんとしてる間は愛がある、ということで。

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