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ステンション

この道を真っ直ぐ行くと角に肉屋があるからそこで聞いてみようと思うのだが、何を聞くのだったか思い出せない。ほらもう肉屋だ、通り過ぎてしまう。

ごめんなさい

声掛けてみる。主人は俯いたまま、鳥足をこねくり回す。ガラスケースに並んでいるのはハムとベーコン、豚切り落とし云々。

これ、三つ

 手羽先を差した私の指へ男は寡黙に肯くと、ロースハムを取り出した。

…わしゃわしゃ。

おやじはざっと油紙を広げる。指をべろりと舐めると肉切れを摘み上げ、一枚、二枚、三枚、と数えながら置く。ゆっくりした手付きで包装紙を巻く。ゴム輪を取り上げる。ぶいん、という音が指先に湿りつく。

ぱちん

と弾けた輪ゴム、黒縁眼鏡に当たって落ちた。

 ぴいー

肉屋の顔は強ばって、見る見るうちに上気していく。真紅の顔をし平手を振り上げ、まな板を叩き始める。

ばどん、ばどん

まな板を叩きながら、土砂をぶちまけたような音を上げる。

ぶおお、ぶお

どうやら私は申し訳無い事をしたようだ。右手を素早く額に当てて、

どうも、すいません

と言ってみる。

しかし、親父の怒りは止まらず、止まらない。黒光りする巨体が、がたがたと揺れ出してきて、

 がしゅ、がしゅ

頭がゆっくり、そして高速で回転を始めた。ぼうという音がして蒸気を噴き出す。鋼の両腕は交互に振り上げられ、そのうち店じゅうがぐるぐると回り始めた。

 堪らない。堪らない。

急ぎ場を離れようとする。左足が動かない。おろけて見降ろすと、薄汚い小僧がべっとり、しがみついている。よだれで膝がべったり、黒ずんできている。

…とうちゃん。

目を上げる。汽車は今しも走り出すところ、慌てて我子を抱き上げると、黒帽子に切符をかざし寸手飛び乗る。そう、

私は駅を探していたのだった。(1998記)

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