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木偶人魚

盗まれた骨(コツ)について話していると左前の質屋が入ってきてこれを買ってくれないかという。朱塗りの盆で小さく文字がひとつだけ、端っこのほうに彫ってある。「蛸」、作者の銘だというがしら無い。だいたい作者の銘なら裏側にでも彫るものだろうと言ってひっくり返してみるとちょうど逆側に小さく「蛇」と彫ってある。これは何だと尋ねるが客がもってきたものだからと言って答えない。質屋はべつに買ってもらわいでもいいといったふうでどかりと座り込み話を始める。

「・・・その女ってのが信心ぶかくて、いっつも大事に木彫りの仏像を抱えているのさ。いや仏像といってもほとけさんの顔をしているわけじゃなくて魚の顔した肥った男で、子供を池でなくしたかわりにこうやって抱えてあるいてるんだというんだ。どうだいあれって幾らくらいになるんだろう」

「100文くらいのもんぢゃあねえのかい」

「お前どう思う」問われても識らないブツの値などわかるはずがない。そうだなと言って盆を見るとそこには湯呑が載っている。茶柱がたっていた。これはついていると思った。

「500文つけよう」

景気のいいことを言って振り向くと紅い着物を着た女が土間に立っていた。年のころ13,4といったふうの子供が身の丈より大きな木彫りの人形をかかえている。「買ってくれるのかい有難う」女は仏像をおろすと両手を差し出した。掌に炭のようなもので左右「蛸」「蛇」とかかれていた。この娘は盆なのだとおもった。

「500わ高い。そうだろう質屋」

前を向きなおすと質屋はいない。空っぽの財布が転がっている。ぼーん、ぼーんと時計の鳴る音がした。煤の沸くような心地がして向き直ると女も既に居なかった。そこにはボラのように呆けた顔をした恵比寿様の像だけが置き去りにされていた。友人は「よかったぢゃあないか」と言いながらちっともよかったふうでない顔をして帰っていった。釣竿で人形の頭を叩くと

コーン

という澄んだ音がした。果てしなく連なる襖のあいだを通り抜けていった。あれこそ「朱の盆」という妖怪だったのだ。盗まれた骨は戻らないだろう、そう思うと涙が後から後へと溢れてとまらない。涙で池が出来てその中を魚に戻った木偶人形が嬉しそうに泳ぎまわることを思うと質屋が憎くて憎くて堪らなくなる。

2007

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