人生は「すごろく」というより「TRPG」だよ

2023年も折り返し地点が過ぎた。歳を取れば取るほど二次関数的に時の流れを早く感じる。「まだ30じゃない」とギリギリ抗っている私だが、経験を積めば積むほど日々に忙殺されていつの間にか老けていくんじゃないかと、心のどこかで恐れている。いつまでも少年のような気持ちで日々を過ごしたいものだ。

折り返し地点となった7月は、そういう意味では若い行動を久しぶりにしたような気がする。
コミュニティ活動を考えたり、県内県外泊まり上等でスナップしたり、嫁さんと祭りに出掛けてポートレート撮ったり。たくさんの人と会えたしたくさんの写真を撮れた。人に恵まれ写真に囲まれ、幸福を感じた7月であった。

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いろいろな人と交流する中で、人生というものをふと考えた。人はどのように考えて人生を歩んでいるのだろうか。何をもって意思決定しているのであろうか。実はそこまで考えていないのかもしれない。

人生と聞いて浮かんだのが人生ゲーム、いわゆる「すごろく」だ。ルーレットを回し、出た目の数だけ進み、止まった場所のイベントに従う。実に分かりやすいし面白いゲームだ。子どもの頃はプレステのソフトで異常なターン数をやっては、最後までやらずに消したことも何度もあったっけ。
ただ私はルーレットが出すマス目を進めるたびに(通り越したマスには一体何があったんだろうか)(通り越したマスのイベントは本当に起きないんだろうか)と考えていた。1つ1つの行動がイベント式なのがどこかしら引っ掛かっていたのかもしれない。

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ゴールに向かっていくという意味では「すごろく」と似たものとして「TRPG」があることをご存知だろうか。クトゥルフ神話を知っている方ならご存知かも知れない。"テーブルロールプレイングゲーム"の略称で、ゲームマスター(GM)の進行に沿いながらシナリオを進めていくゲームだ。
進行に沿いながらと言ってもがんじがらめにハンドル握られてるわけではない。このゲームの肝なのが「プレイヤーが考えることはゲームの過程全てで実行できる」ということだ。
人が喋ってる時にそいつを剣で切り付けてもいいし、戦闘中に敵にう◯こを投げつけてもいい(人としてどうなのというのはおいといて)。
成功するかどうかはダイスロールだ。行動に対するステータスが高ければ成功しやすいし、低ければ失敗しやすい。ただ低くても運良く成功することもあれば、高くても絶望的なタイミングで失敗してしまうこともある。このドキドキ感がたまらないので知らない人はぜひやってみてほしい。

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話が逸れるが、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がある。"自分が今いる場所でできることを考えてやっていこう"という言葉だ。
教員の時によくこの言葉を聞いたものだが、私はこの言葉を理解できても好きではなかった。砂漠にいるサボテンに湿地で生きろと言っても生きていけるわけがないのだ。
どう生きるかを考えてはいるのかもしれないが、その場所に止まっていること自体を変える発想がないことが…すごろく的に見ていることが、私には受け入れがたかったのかもしれない。その言葉を私から教え子たちに伝えることは無かった。

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タイトル的には断言してるが、人によって考え方は人それぞれなので私はこれを押し付けることはしないしできない。
それを大前提として言うならば、私は人生をすごろく的じゃなくてTRPG的に見ている。見ていたい。
人生は1本道に従うものではなく、自身の選択により多岐にわたる道から1つを選んで進むものなのだと。そこで起きたことは良くも悪くも自身の責任であり、自分が決めた道なのだ。
アドラー心理学が私は好きなわけだが、通ずるところがあると思う。いつも自分の行動を決めるのは他人ではなく自分自身なのだ。言い訳を作りそうな時、一度立ち返るようにしている。

これは、「自分の人生をどう生きていきたいか」を、ふと考えた時の備忘録。

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