あのとき恥を押し付けられたキミへ
こんにちは、中川諒(@ryonotrio)です。1988年生まれ。入社10年目の中堅社員です。今日は2年前の新入社員との企画打ち合わせで目にしたある出来事の話をしたいと思います。
僕は広告代理店でコピーライター・PRアーキテクトという仕事をしています。これまで「恥をかける人」というテーマでこのnoteを書いてきましたが、本日6/25に約2年かかって書いた初の著書『いくつになっても恥をかける人になる』がディスカヴァー21より全国書店にて発売されることになりました。そのある「出来事」が僕が恥という感情に興味をもったきっかけとなりました。
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広告はたくさんの恥で出来ている
そもそも僕が「恥」というテーマに興味をもったのは、ある打ち合わせで目にしたこんな光景がきっかけでした。
「いいんだよ!若いときはいっぱい恥をかいて!」
初めて一緒に仕事をすることになった新入社員のA君。彼が打ち合わせにもってきた企画を説明している姿を見て、彼の上司がこう言ったのです。その瞬間、新人のA君は「すいません、全然ダメな企画で」とヘラヘラしながら笑っていましたが、企画書を机に並べるその手はわずかに震えていました。もちろんその上司に悪意はありません。しかし新人を勇気づけようと発した一言が、A君の努力をいつの間にか「恥ずかしいもの」にしてしまったのです。僕は先輩が意図せず後輩に「恥を押し付けた瞬間」を目にしたのです。
僕はその日常の「何気ない一コマ」がずっと気になっていました。そして彼の先輩を前にどうしてあの場で「チャレンジしているんだから、君の企画は恥ずかしいものじゃない」と言ってあげられなかったんだろう。と後悔し、恥ずかしい気持ちになったのです。もしかしたら新人のA君はこんなやりとりのことなんてとっくに忘れているかもしれません。そもそも気にも留めていなかったかもしれない。でも僕はそのときから「恥」という感情に興味を持ち始めました。
僕はよく迷います。そして迷いの原因は大体自分の中の「恥」という感情でした。広告会社の企画職というのは少し特殊な仕事です。広告は自分一人では作れないのに、「作る人」としてクライアントとは向き合う必要があります。そして大抵が自分よりも経験豊富な映像監督やデザイナー、プロデューサーに「ディレクション」という形でお願いをしなければいけません。僕がこの仕事で一番苦手な瞬間は、そんな映像監督との打ち合わせです。特にクライアントと戦略から事前に何度も打ち合わせを重ねたうえで出来上がった企画と、その企画を元にプロの映像監督が描いてくれた演出コンテ(撮影前の確認用資料)に乖離があったとき。なるべく涼しい顔をしながらも、僕の頭の中はパニック状態になります。「あれ?伝えたはずなのに・・・意図が伝わっていない?」「いや百戦錬磨の映像のプロが言うのだから、分かっていないのは自分の方なのでは?」と。そして意を決して質問や意見を言おうとした瞬間、もうひとりの僕が耳元で語りかけるのです。「お前みたいな未熟者の意見なんて誰も聞かないよ」と。「また代理店の若いのがダサいこと言ってると思われるぞ」と。
このように「馬鹿だと思われるのではないか」「ダサいと言われるのではないか」と、「恥」という感情は行動しようとするわたしたちの前に立ちはだかって邪魔をしてきます。恥は知らぬ間にわたし達のチャンスを奪う魔物です。
恥はチャンスの目印になる
人生100年時代と言われる現在。ひとつのキャリアやスキルだけでは、どうやらわたしたちの社会人生活はきっと乗り切れません。いままでやったことのないことにチャレンジしなければならない場面も増えていくでしょう。そのたびにわたしたちの前に「恥」が立ちはだかります。もう恥は若者だけのものではありません。今一度、恥について後輩も先輩も理解し、「免疫」をつける必要があると思ったのです。それがタイトルの『いくつになっても恥をかける人になる』に込められたメッセージです。恥を理解することは、自分と向き合うことだけでなく他人を理解することにも繋がります。それだけで、人付き合いがもっと楽になるはずです。
わたしたちは今「恥をかきにくい時代」に生きています。他人の評価が簡単に可視化され、SNSではすぐに「いいね」の数とコメントが反映されます。世界中の情報にいつでもどこでもアクセスできることで、他人と自分を比較して自分の「不出来さ」が気になります。そして「今更わたしなんかが恥ずかしい」と最初の一歩を踏み出せなくなってしまうのです。
今まで通りの「無難な自分」を殻を破るヒントは、わたしたちの恥にあります。できることなら誰だって恥ずかしい思いは避けて通りたいでしょう。しかし恥はあなたの敵ではない。いま「恥ずかしい」と感じているとしたら、それはあなたが新しいことにチャレンジできている証拠なのです。恥はチャンスの目印になる。恥というコストを支払うことで、あなたは新しいスキルや経験を手に入れることができます。恥をかくことは、誰でも無料でできる投資なのです。
「無難な自分」の殻を破る恥のかき方
これは広告の仕事だけでなく、どんな仕事でも言えることなのではないでしょうか。ここからは僕が普段実践している「恥のかき方」について一部を紹介したいと思います。本書『いくつになっても恥をかける人になる』では、50の「今すぐ実践できる恥のかき方」として紹介しています。
「会議の前に雑談で打ち解けておく」
会議で人が揃うまでスマホやPCとにらめっこ。リモート会議では、カメラもマイクもオフにしてしまう。そんなときこそ自分の恥の殻を破るチャンスです。沈黙して待っているくらいなら、世間話をしましょう。場が和むことで一番得をするのは、自分なのです。自分の心理的安全性が確保され、本題に入ったときに質問や思い切った提案がしやすくなります。特に自分から話す話題がなければ、誰かに質問をしてみるというのもオススメです。
「セミナーでは何があっても一番前に座る」
貴重な時間を割いて参加した講演や勉強会で、後ろの方に座るのはもうやめましょう。悪目立ちしたくない。意識の高いやつだと思われたくない。その気持ちもわかりますが、大前提として誰も講演会に来て他人のあなたの座る場所なんて一ミリも気にも留めていません。スクリーンも見にくい後ろや端の席に座るのは、あなたの恥以外何ものでもありません。座るべき席は前列一択です。前列に座れば、他の聴講者も視界に入らず登壇者と1対1のような気持ちで話を聞けるし、質問もできます。自分の質問をしている間、他の人のリアクションを気にすることもなくなるのです。
「勝負の日には自分から握手を求める」
僕はCM撮影の当日、朝現場に入ったらまず現場の長である監督に握手を求めることをマイルールにしています。これは、相手が自分よりも年齢や経験がいくぶん先輩であってもです。そうすることで仲間意識と心理的安全性が確保され、僕も監督も互いに相談しやすくなります。握手はあくまで一例ですが、勝負の日にうまくいくための自分なりのジンクスをつくって他の人に示すことで、あなたの仕事に向き合う姿勢と気持ちをみんなに共有することができます。
「先輩の意見と真逆でも発言してみる」
先輩の言うことに従うのは、とても簡単で楽な方法です。なぜなら他人の言うことに従うのが、一番自分が傷つかないからです。「決めたのはあの人だから仕方がない」責任を他人のせいにして、自分が恥から逃げるのは簡単です。しかしそれではいつまでたっても、残念ながらその仕事は「先輩の仕事」のままで「自分の仕事」にはならないのです。胸を張って「自分の仕事」だと言えるようにするためにも、思ったことは正直に言いいましょう。あなたの正直を受け止めてくれない先輩とは少し距離を置いてもいいのかもしれません。
「素直に知らないと答えて教えてもらう」
わたしたちは、恥ずかしさから反射的に知ったかぶりをしてしまいます。そのたびに、恥はわたしたちから「知る機会」を奪っていくのです。知らないことをかっこ悪いと思っている限り、あなたはこのチャンスロスから逃れることはできません。さらに年を重ねるごとに、この恥ずかしいという気持ちは強くなるでしょう。恥への免疫を早めにつけることをオススメします。知らないことを認めて質問できたあなたは、無知で愚かな人なのではなく、学ぼうという姿勢のある前向きな人に見えます。恥はあたらしいことを学ぶコストなのです。
「いいね!とレビューで応援する」
SNSなどでコンテンツへの感想を投稿するのは意外と恥ずかしいものです。「そんあ浅いことしか言えないのか」と思われるのが怖かったり、自分がどう見られるか気になるからです。しかしそのリアクションはコンテンツ制作者への応援になります。Instagramの投稿やYouTubeの動画、最近見た映画のレビューでもなんでも。いいねボタンを押す、SNSで感想を書くなど、どんな小さいことでも、あなたの行動は応援につながります。いいと思ったら恥ずかしさの殻を破ってリアクションを示しましょう。あなたの応援は、製作者たちの恥を支えているのです。コンテンツは消費するだけではもったいない。リアクションを示すことで、自分のインプットの濃度が高まるだけでなく、製作者の人たちが次の恥に向かうための勇気に変わるのです。
この他にも沢山の「今すぐ実践できる恥のかき方50」を本の中では紹介しています。
「広告村」を出ようと本を書いた
2019年、僕は悶々としていました。その年フランスで参加した「カンヌ広告祭」のヤングカンヌアカデミーで世界中の同世代のクリエーティブの子たちがジョブホップを繰り返しながら自分でキャリアを切り開いているのを目にしたあと、同じ年にGoogleのクリエーティブチームに出向する機会をもらってシドニーとシンガポールで仕事をしていた僕は、今の日本での自分の状況に窮屈さを感じはじめていました。
そして「一度”広告村”を出てみよう」と思い、広告以外のアウトプットであるビジネス書を書くことに決めたのです。それは広告やマーケティング着業界に閉じた話ではない本がいい。そこから約2年向き合ったテーマが「恥」でした。
しかし書き終わってみて気づいたのは、「せっかくいい本を書いても(いい本と言わせてください)、読んでもらえなきゃ意味ねぇじゃん」ということ。”広告村”を出ようと思って本を書いたら、広告の必要性に気づいてしまったのです。
本は自分のためには書けない
企画が立ち上がってから約2年間、このテーマと向き合って原稿を書き進められたモチベーションになったのは最初に紹介した他部署の新入社員A君の存在でした。これは彼への罪滅ぼしだと言ってもいいかもしれません。最終的に書籍になったのは6万字程度ですが、原稿は一度11万字まで膨れ上がりました。ほとんどの土日、仕事を終えたあとの深夜に原稿と向き合うことが出来たのは彼のおかげでした。
彼はまだこのことを知りません。そもそもあんな「些細なやりとり」彼は忘れてしまっているかもしれない。でもそろそろ刷り上がった本が一冊、彼の手元に届くはずです。
人との関わり方、自分との向き合い方で悩んでいる全ての人に届いてほしい。行動しようとするわたしたちを、いつも邪魔するのは「恥ずかしい」という気持ちです。恥の見方が変わると、気持ちが変わる。行動が変わる。毎日ポジティブに自分と向き合えるようになるための、「恥のかき方」をまとめました。是非手にとっていただけると嬉しいです。
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