苦しみの時間
私は、シングルマザーで、3人の子持ち。そして不登校。
離婚問題を抱えながらフリースクールを起ち上げました。
その傍ら、地域興し活動にも参加し、たくさんの人と繋がりながら生きてきました。
色々あったけど、今、子どもたちはそれぞれにそれぞれの道を歩み始めました。
私の経験が、トンネルの中にいる人たちの一筋の光になればと思い、私が経験したストーリーを綴っています。
メルマガでは日々起こったことや、気づいたことを書いています
コウキが小4の頃、小1の妹が学校に行かない選択をしました。
それはそれは、彼にとっては、衝撃的な出来事でした。
たくさんの矛盾を感じながらも学校に通っていたコウキにとって、
「学校に行かない」という選択がある
という事実が、目新しく、斬新なものでした。
目から鱗!
それからも、休む日や遅刻する日が増えたものの、行かなくなることはなく、だましだまし学校に通うことを続けました。
私にしても、彼は勉強が出来ないわけではないし、そこまで困っていることもなさそうだったので、学校には行けば良い、と思って通うことをサポートしていました。
コウキは、学校ではいわゆる「変わった子」
ぼーっとしてるし、自分の考えもあんまり言わないし、挙動不審だし、マイワールドで一人で過ごすタイプ。
なので外から見てもあんまり困っていることがわかりにくい。
でも学校で浮いてはいるものの、仲間はずれにされることも無く、どちらかと言うとしっかり女子たちに世話を焼かれながら学校生活を過ごしているようでした。
そんな日々を送り、小6の冬のある日、ぷっつりとまるで糸が切れたように学校に行かなくなりました。
当時、私が立ち上げたフリースクールが動き始め、
そして、長男の引きこもりは二年目に入り、目一杯病んだ状態になっていた頃。
私はスクールの活動日は出来るだけ彼らを誘って家から出そうとしていましたが、「出た方が良い」という本人の自覚から動くことはあっても、どこかに行きたい、人と関わりたい、という気持ちはまったく湧かず、どんどん引きこもることになっていきました。
家にいれば兄がいる。ゲームがある。
私は彼らがゲーム三昧の日々になるのが怖く、ロックをかけて時間制限をしていたのですが、そうすると、子どもとの心はどんどん私から離れ、コミュニケーションを取ることさえも難しくなっていきました。
子どもたちと何度も話し合いを重ね、ゲームの時間を少しずつ解放していきました。
そうすると、私と子ども以外の人たちからは、批判的な言葉をかけられます。批判的な視線を投げられます。
私の親、きょうだい、学校、保護者、地域の人。
みんなみんな、良かれと思って、子どもたちのことを心配して、良くなるように、という気持ちで「ゲーム三昧引きこもり」の日々から出した方が良い、出すための知恵、を伝えてくるわけです。
もちろん私だって、同じように心配する気持ちはあるし、早く引きこもりを脱出して欲しいし、元気で笑っていて欲しい。
でもその当時は、外には行き場がなくて、ゲームに逃げるしかなくて、ゲームをしている時間以外は、苦しみが襲ってくる。
それなのに周りの大人はゲームを取り上げて外に出そうとしてくる。
こうなるともはや正義という名の暴力となります。
ゲームばかりしているのが良くない、ということは本人たちだってわかっている。だから正論で外に出るように促されたって、苦しみの感情しか生まれない。
そうなればなるほど、どんどん引きこもっていって、周りとのコミュニケーションも取れなくなっていく。どんどん閉ざしていってしまう。
そんな苦しみが家中に巡っていて、空気はどんより、今考えると、この頃が一番苦しい時期でした。。。
つづく
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