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石原亮子
2020年12月7日 21:47
私は勉強が好きだった。それに気づいたのは大人になってから。中学時代は周りに合わせることに必死すぎて、自分がどう感じているのか、何が好きなのか、どんな風に生きていきたいのか、なんて考える余裕が全然なかった。あの頃、周りのいろんなことに惑わされずにもっと好きなように勉強してたら、全然違う人生やったかも。と思ったことは何度もある。戻ってやり直したいとは思わないけど。高校は自分の希望はまったく
2020年11月26日 21:38
そんな幼少期を過ごした私は、自分というものをどう保ったらいいのか、どのように人と付き合ったらいいのか全然わからないまま体だけが大きくなっていった。正論だけがまかり通る家正論がまかり通らない学校での人間関係被差別部落は貧困が多く、家庭環境が悪い子も多い。親が蒸発した、なんてうわさもよく流れていた。蒸発ってなんや?人間は消えてなくならんよ。ウソ、暴力、いじめ、たばこ、シンナー中学生
2020年11月20日 07:09
「ほかの家とは違う」「普通ではない」と気付いたのは10才くらいのこと。誰も週末にデモなんか行けへん。どこのお父さんも大体仕事してる。学童行ってる子は徹矢と美紀の仲間の子しかおれへん。夜に子どもだけで留守番とかしてない。小遣いもっと多い。ディズニーランド行ったとか言ってる。お父さんとお母さんは普通ケンカするらしい。差別しても親に怒られへん。当たり前のことも当たり前じゃないこ
2020年11月14日 20:54
私は1975年、大阪の西成区で生を受けた。3人姉妹の真ん中。1975年というのは、終戦から30年、第二次ベビーブームも終わり、少子化の始まりのころだったのかもしれない。西成区といっても、西成として有名な場所は釜ヶ崎と呼ばれる場所。釜ヶ崎というのは西成の一部でしかない。私が生まれ育ったのは西成の西の端っこにある工場地帯で、少子高齢化が進み始めていたように思う。そんな町の文化住宅で幼児期を