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「自分の『味の素』を振りかけろ」:表現と生き様の関係性

これは福岡在住のフォトグラファー、サンディさん(@sunday_722)からいただいたお言葉。

彼女が撮る香港や福岡の写真は、どこか彼女らしさを感じる。どことなくノスタルジックであったかくて、力強い写真たち。撮るジャンルはいろいろ。でもこれは本人と直接お会いしたことあるから思うんだけど、彼女の撮る写真はなぜか彼女らしさを感じる。

「自分の『味の素』を振りかけろ」

あまり当時のことを覚えてないけど、どことなく僕が写真について悩んでたのかな、彼女はこの言葉をかけてくれた。最初は意味がよくわからなかった。
彼女は続けて言った。

「人の写真はいくらでもマネして盗んで良い。ただし、最後に必ず自分の『味の素』をふりかけること」

写真から感じられる彼女らしさは、彼女の「味の素」のせいだとそこでわかった。
僕は魔法のレシピを教えてもらった気持ちになった。

その日から僕は、作品をつくるたびにその言葉を思い出す。

∇写真表現の方程式 

「味の素」の話も踏まえて、僕における〈写真表現の方程式〉を作った。ペドラザはいない。

〈写真表現の方程式〉
「写真表現」 = 「撮影」 × 「編集」 × 「生き様」
 
※僕はデジタルで表現するので、ここではあくまでデジタルでの表現において。

以下、僕の「撮影」「編集」「生き様」について書いてく。

∇「撮影」篇

撮影はiPhoneかミラーレス一眼(FUJIFILM XT-10)がメイン。絵画でいうと「ラフスケッチ」のような感覚で撮ってる。
シャッター切ったら、たぶん4割くらい作品ができてると思ってる。

以下は「撮影」を身近なものに例えた場合。

※「撮影」を身近なものに例えた場合
・絵画・・・「下書き」「ラフスケッチ」
・料理・・・「材料を揃える」「材料を切る」
・建築・・・「基礎工事」「棟上げ」「下地」

撮影の技法については独学、撮りながら覚えていった。分からなかったらネットで検索するし、優しい誰かに教えてもらう。

∇ストリート出身のフォトグラファー

僕は写真の勉強は全くしてない。芸大や専門学校にも行ってない。写真館で働いたこともないし、誰かの弟子になったこともない。

正直なところ撮影の基礎も、ストロボライティングのスキルも、光を応用する知識もない。よくも悪くも固定概念がないまま写真を撮っている。

だから写真について偉そうなことは書けない。
でも「自分が写真で表現すること」については書きたい

僕は芸大出身でも仕事上カメラマンになったわけでもないので、いわゆるストリート出身のフォトグラファーという事になる。よく分からんが僕は写真をあまり写真として意識していない。キャンバスに絵を描くようなイメージで作品を作る。

ただただひたすらに遊びながら踊りながら大量のアウトプットを重ねた結果、写真表現の技術が身についていた。そして発信を継続して、広告写真で使ってもらえるくらいまで認めてもらった。そんな状態。

だからこの章ではプロとかじゃなくても、自分を表現できればちゃんと人には伝わるんだよってことを言いたい。

∇「編集」篇

編集をするときは、iPhoneやパソコンで行う。iPhoneに標準搭載されてる写真アプリとかその他の編集アプリ、PhotoshopやLightroomなどを使用して編集する。

「編集」とは撮影した写真を、自分のイメージへと完成させるプロセスのこと。

以下は「編集」を身近なものに例えた場合。

※「編集」を身近なものに例えた場合
・絵画・・・「清書」「ペイント」
・料理・・・「調理」「味付け」
・建築・・・「内装・外壁仕上げ」「家具・建具設置」

アプリやソフトの具体的な操作方法なんかはとにかく検索すればOK。検索すれば色々な応用スキルが出てくるのでググってググってパクリまくる

オススメのアプリは機会があるときに紹介したいと思う。

「編集」によってイメージを創りあげる時間こそ、至福の時。自分の世界に入り込み、我を忘れて1人の時間に没頭できる。完成に向かうまでの道は、希望へのプロセス。例えるなら、マリオがスターを取ったような状態

これも「撮影」と同様、踊りながら楽しむということが大事だ。

そして完成したものを見て、ひとりでニヤリ。

「撮影」は物理的に、誰でもその場所でシャッター切れば同じ写真が撮れる。だからあまり人と差異のない写真も撮れる。パクろうと思えばパクれる。

しかし「編集」は、なかなか再現性が難しい気がする。そのことについて次章「生き様」篇でお伝えする。

∇「生き様」篇

前回の記事で「何を撮るのか?」てことについて書いたんだけど、僕は「心の違和感」を撮る。「心の違和感」の根本には、過去から今までに形成されたコンプレックスを元に築かれた「人と一緒が嫌だ」という想いが関係してると思う。

「生き様」とは、その人が生きていく態度・ありさま。僕は生まれてから今まで、自分の経験から生まれたコンプレックスを抱えて生きてきたからこそ、今のような生き方をしているんだと思う。ちょっと曲がった目で世の中を見てしまったりしてしまうのも過去の蓄積により生まれた「生き様」。

「撮影」において、物理的にはマネできるしパクれると言ったけど、撮るモノはもちろん視点や構図なんかは、実は「生き様」が繋がってるんじゃないかな。パクるという行為でさえ。

そして「撮影」以上に「編集」は、より「生き様」が現れる部分だと思う。これまで生きてきた人生の背景が影響し、一気に前面に現れる。同じ場所の写真なのに完成形が違う写真があるのはこのためじゃないのかな。なので先ほど述べたように再現性が難しいと感じるのだろう。そういう再現するプロもいるけど。

〈写真表現の方程式〉
「写真表現」 = 「撮影」 × 「編集」 × 「生き様」

∇「自分らしさ」の正体

話を最初に戻すと、この「生き様」がサンディさんの言う「味の素」なんだろう。
それはその人が生まれてから今までに積み重ねた、誰にも真似できない「生き様」。それは世界いや宇宙に一つしかないスーパーオリジナル「味の素」

つまり「自分らしさ」。

「自分の『味の素』を振りかけろ」

いつも過去に悲観していた僕だったが、これからは自分にしかない「生き様(味の素)」に誇りを持って、「自分らしさ」を大切に前だけを向いて進むことにした。

後ろばかり振り返るのはもうやめよう。

∇まとめ

・「自分の『味の素』を振りかけろ」
・「写真表現」 = 「撮影」 × 「編集」 × 「生き様」

・「味の素」=「生き様」=「自分らしさ」
後ろばかり振り返るのはもうやめた

∇本日の一曲

全然興味なかったhide。Amazon Primeでたまたま彼のドキュメンタリーを見た。言葉にはできないけど、派手なのに気取っていない「生き様」は本当にかっこよかった。


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