#56 【天】というマンガでの生き様と葛藤
あなたの魂に火がともりますように…
前回は【オーイ!とんぼ】で「自分が本気で生き直したい!」と願うキッカケになったという話をしました。
今の環境で満足するのか?新天地を目指して生きるのか?自由だがそれは自分で決める覚悟が必要に思って、新天地で自分なりに本気で約1年間、生きてきました。
そして最近、ふと福本伸行さんのマンガを読みたくなって原点から読もうかな?と思って手に取ったのが【天‐天和通りの快男児‐】でした。
1巻〜15巻の内容はほとんど麻雀です。僕は麻雀は簡単な役しか分からないのでほとんど心理戦の駆け引きだけを見てみましたが、奥が深くて裏の裏を読む天才たちの戦いでした。
本当の駆け引きは自分が生きようとしない、もう自分は死んでもいいと覚悟して相手が理解出来ない動きで役を作る事なのかも…と思いました。
関東と関西の麻雀の陣地の取り合いが白熱して楽しかったのですが、何故か麻雀から離れて最後に天才雀士【赤木しげる】の死に様が合計3巻分の大容量で描かれていました。
僕が今回伝えたいのはこの16巻〜18巻の赤木しげるの最後の話なんです。
16巻〜18巻だけでも禅問答のような話が見れるのでここだけを見ても楽しいです。
まあ、赤木の生き様を見ないと赤木という人間を作った背景がよく理解にしくいとは思いますが…笑
ぶっちゃけると急に【赤木が死んだ】と新聞で知らされます。葬儀が今にも行う最中で、今までに死闘を繰り広げた雀士達が赤木の葬儀に集ってきます。
【あの赤木が死んだ!?】みたいな雰囲気で。
しかし、到着してみると赤木はまだ生きていました。
実は赤木はアルツハイマー型認知症で視界の1/3が見えなくなり、もう麻雀が出来なくなっていました。3年後には死ぬぐらいに病の進行が速い。
【だからここで今から死ぬ予定だから葬儀は嘘ではない。最後にここにいる雀士に挨拶してから死のうと思う】というのです。
そしてここにいる誰かの言葉で自分が生きたい。と思えたなら死ぬのをやめると言ったのです。
この3巻分は説得の対話だけを載せているマンガになっています。
みんなは赤木を死なせまいと色々な説得します。
ある人は赤木の人生そのもののギャンブルでの勝ち負けで赤木の生死を決めてはどうだ?とする人もいたりしますが、赤木の意志はなかなか変わりません…。
最後に赤木がこのまま死んでいくのかどうかは是非マンガを読んで体験してみて下さい♫
ここでちょっと脱線して僕が気になった部分を共有します。
みなさんは どの道が幸せになると思いますか?
このマンガの登場人物で3つの参考例を出します。
①自分が進める道で失敗を最小限に減らして安定して生きる人。
②常に成功数を増やし地位や名誉を積み重ねて生きる人。
③大きな失敗や成功等の全てを気にせず突き進み、今の人生に全力で生きる人。
すみません、実は特にこれが正解という答えは無いんです。笑
今のあなたが自分がどんな道に興味があって進みたいか?を自分自身に聴いてみて欲しかったんです。
気になったならこのマンガ読むのをお勧めします。
意外な視点がみえるかもしれませんね。
(天の漫画の出版社は近代麻雀コミックスです。)
まあ、話を元に戻しますが、この赤木しげるという天才雀士は非常に誇り高くて【自分】という存在を大切にしている。だからこそアルツハイマーになって自分の生き方が出来なくなって死んだように生きるしかないのなら【自分は死んだのと同じ】だから死ぬ。と言うのです。
つまり…
【命】が生きるか死ぬかよりも【自分】が生きているかの方が重要だ。
と赤木は言うのです。
麻雀が出来ない自分など生きていて意味は無い。命のムダだと。だから死ぬ。
生死よりも【自分】というものを尊重する心意気に強く心が打たれました。
僕はこの赤木しげるという人の様に自分の人生を生きているだろうか?
と考えるようになってしまったのです。
最近、この赤木しげるというマンガのキャラもそうですが今を懸命に生きているのもの達に触れる機会が多いのです。
全く目が見えないのに文句も何も言わずに今をただ生きているうちの犬。
自分の理想を求めてそれに向かって手探りで体当たりで生きている友人。
正解か分からないし、時には間違えながらも全力で今を生きている。
人と自分が全く同じことが出来るとは言えない。
みんな魂が違うんです。
当たり前やけど違います。
僕は赤木の生き様に感動したので
僕は赤木になりたい。
それが僕の魂を成長させる道だ。
と思ってました。
しかし、【ちょっと待て】と疑問がでました。
でも、完全に赤木の生き方になるのはちょっと違うかも?と僕は感じました。
だってそれは結局は【僕が赤木として生きる】という事になる。
それってもう自分がないやん。笑
だからどうしていきたいか分からなくなりました。
…。
…。
考えてみて、出たことは…
自分には違う。と感じたなら止まればいいし、考えが変わったのなら再度の方向転換をするだけでいい。
自分の幸せはやはり自分で決めるしかないと感じました。
自分なりの幸せの道を…見つける旅。
そして相手も全く違うという事も受け止める。
そして自分の個性、癖、性格等をも受け止めよう。
どんな生き方をしていてもこの世は許して受け入れられるのが神様の愛、そしてそれをそのままを受け取るのが己自身の本当の強さ。
僕は自律したいと思って全力で生きてきました。
完全な上から目線のおごりになりますが、
僕の生きてきた道をお手本として見せるのが依存してきた人への助け舟になると思ってきましたが、それすらも僕が決めるのではなく、本人がどうしたいのかを決める方が本当の自由。
他の誰の願いが正解でもない、最後は自分で考えて進みながら自分の願う道へと道を切り開く【開拓者】という視点の意識。
響いたのならその人の考えも受け入れればいい。
その考えも自分として受け入れていく。
でも要らないのならスッと切り離す潔さも大切。
それが僕の感じる自律。
(自立も必要だがイメージが違う)
自分の法律を定める事こそが自律と感じました。
まさに自分国憲法…笑
僕の今の生き方の理想のイメージは
僕は全力で生きる牙を持って日々を生きる。
でも…無理するとしっかり考えられなくなるからできる範囲でやる。笑
が近いのかもしれません。
つまり、いいとこ取りです笑
だから【欲しい所を自分のやり方で吸収する】
そのような感覚に近い。
違うと感じるなら相手の全部を受け入れない。
それでいい。
僕はそれで自分に許可が出たので♫
あなたの生きる指標は何ですか?
あなた自身とあなたの内側の魂との禅問答のやり取りしてみるのも面白いかもしれませんね〜♫
あなたの心ひとつで
目に映るすべてのものは
メッセージです。
あなたの人生の主人公はあなたです。
あなたが思うあなただけの物語を
紡ぎだして下さい。
今をご大切に…
いつもありがとう。
※記事はオリジナルですが、画像は引用して掲載させて頂いています。
引用画像:天、オーイ!とんぼ、ネット記事より抜粋。
光の循環が出来て嬉しいなー♫