法で裁けない悪に走らせたい彼女は人を殺さないお酒で長生きする(掌編小説)

 手の傷に沁みるアルコール消毒液を我慢していると「その傷、なにでやったんですか」と聞かれ、倫理と道徳の隙間を突いたセックスの一環でつけたものだと一言目には言えなかった。この店は入る時にゴム手袋をした女の人が客の手を揉みながらアルコール消毒するのがウリで密かに人気を得ているらしく、ゴムの性能を信用しないと入れない店だ。いつも自分で揉み込んでいるものを他人に揉み込まれると人権を一部奪われた気がする。ああこれは多分、下の世話をされている感覚だ。見物感覚で入ったことを後悔した。
「うち、お酒も出せるんですけど、メニュー見ます?」
 背の高いパーテーションで区切られた半個室のカウンターに入れられるとアクリル板越しにアルコールのメニューを見させられた。
「え? お酒出していいの?」
「なんか分かんないですけど、ここで出したお酒ってどっかの田舎で出したことになるみたいで。それで大丈夫みたいです」
「田舎ってどこ?」
「えーそれ気になる? なんか島って字がつくところみたい。お酒だけ別のお会計になっちゃうからそれでも良ければ」
 ケラケラ笑う彼女の目は本来の大きさが読み取れないメイクがされていて、どんな手順を踏むかは不明だが明確に説明するには図示が必要だと思った。島のつく地名を頭の中で辿っているとアルコールを飲む気は失せた。
「こういうの苦手? 大丈夫だよ。これってなんていうの? 法で裁けない悪みたいな? 裁けないのに悪っておかしいよね」
「悪って思ってるんだ?」
「そうは言ってないじゃん。意地悪だなぁ。お酒が人を殺すんじゃないんだから。お酒出さなかったらうちらが死んじゃう」
 アクリル板を挟んで話す彼女との会話は十分にこちらへ届かない。彼女の寿命が縮まってしまう思いでウーロン茶を注文した。このウーロン茶でどれくらい命を削れるんだろう。ウーロン茶よりオレンジジュースの方が命を削る刃先が鋭い気がした。
「お酒が飲める場所でウーロン茶ってもったいなくない? サービスでウーロンハイにしてあげよっか」
 法で裁けない悪に走らせたい彼女は人を殺さないお酒で長生きする。彼女の名前に島の字が入っていると気づいて僕は彼女に飲みたいものを尋ねた。
「地元に帰れるといいね」

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