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赦されること、赦されざること


こないだ、サンライズ那覇の通りで飯を食ってたら、そこの通りの店員の女の子が、お客さんからパイナップルを貰ったような話をしてました。しかし、そのパイナップルは傷物で、その子は「悪くなったパイナップル食べてお腹壊さないかなー?」というようなことを心配しているのです。
しかし、県民的にはパインは腐る直前がまさに酸味と糖分が発酵してアルコールを帯びて発泡味さえ発する最高の食べごろです。そのことを伝えたところ「それって腐りかけじゃん、ヤダー!」と言われ一笑に付されたのでした。美味いのになー。

そんなこんなで、発酵というものは行き過ぎると“腐敗”への道を辿ることになる。だからこそ、温度や湿度を管理して、絶妙なバランスを人為的に保つ必要があるわけですよ。まさに、手間暇かけなきゃいけないわけです。
酒にしろ、漬物にしろ、納豆にしてもそうです。一夜干しの魚の干物なんかもそうでしょう。どこまでが発酵か?というギリギリを人為的に管理していく作業が発酵ではないか、と思っております。
昔の人たちは「梅干しの歌」なんて唱歌を習っていたようです。その内容たるや、まぁ、泣けますよ。

二月三月 花盛り うぐいす鳴いた 春の日の 楽しい時も 夢のうち

五月六月 実がなれば枝から ふるい 落とされて 近所の町に 売り出され 何升何合 量り売り もとより すっぱい この体

塩に つかって からくなり しそに 染まって 赤くなり 七月八月 暑い頃 三日三晩の 土用干し

思えば つらい事ばかり これも 世のため 人のため しわが よっても 若い気で 小さい子らの 仲間入り

運動会にも ついて行く まして戦(イクサ)の その時は なくては ならぬ この私 なくては ならぬ この私

発酵し、長期保存を行える食品を作るまでの克明な手順が、この歌には記されています。そして、発酵とは老いに似ており、若さでは出ない味わいがある、という意味も語られていることに訓話的な要素も感じます。
つまり、発酵とは、「腐敗を免れるための人為的な措置をもって生み出される」というものです。その結果、自然採取した時よりも旨みや味わいが増すわけです。長期保存しようとした結果、旨みが増した。それが発酵を人々がやる理由で、不味くなるならやらないですよね。

そこで、ヨーリーの都市が発酵する。地域が発酵する。という見解を読むと、これは自然発酵であり、意図的に発酵されたものでは無いことが伺えます。
コザの街並み。それは、建て替える資本がないから残っているものです。補修などの人為的な力がなければいつか崩壊します。
宮古にしてもそうです。ぴーぶーさんのお店も、石嶺豆腐も、島全体の景観も、市井の人々の努力で成り立っているわけです。それは発酵という“良き日々”にあるうちはいいでしょう。しかし、それは爛熟を迎え、腐敗に至ることは年月の流れに逆らえぬ以上、自明の理なのであります。

狩俣の神歌にしてもそれは然りです。もはや、爛熟を超えて、喪失に近い状況にあります。だからこそ、尊さが増しているし、残したいと願う人の気持ちが強いわけですよ。腐らせてはいけない。発酵させて長く残したい。
そういう発酵臭を嗅ぎつける貴女の鼻の利き方、と言っては失礼ですが、今を逃しては失われてしまうものを見抜いてしまう眼力には舌を巻かざるを得ません。


平良の、観光化され尽くしている地域にも、こういう景色がある。人々の生活に根ざした景色も、あとわずかしたら消え去ってしまう。発酵と爛熟は紙一重で、保存には人の手が必要なのだ。

この夏、ヨーリー夫妻と同行して宮古を訪れて、三年前に訪れた宮古ともまた違った、変わりゆく宮古を目撃する機会をえられました。
パイヌガマの先にはヒルトンホテルが建ち、砂山ビーチ付近に一泊数十万円のコテージが建つと聞きました。三つ星レストランとか、金の唸るような話がわんさか溢れていましたが、そこには、長い年月をかけて景観を守ってきた地域の人たちへのリスペクトはありませんでした。
まぁ、しょうがないことです。発酵して美味みが出ているものを高値で売り買いすることは、資本主義のならわしです。しかし、そこに土着の神々への畏れと敬意はあるのか?という疑問があります。

今回の旅で、Nという地区の方が腰の病気を患っており、その自己治療のアドバイスをしたりする機会がありました。その方の奥様が、神事に携わっている現役のツカサと呼ばれる巫女の方で、神歌のことについて色々と話を伺うことができました。

“神歌は信仰が伴わなければいけない”

“信仰は郷土愛を根元にしている”

“言葉の意味を言語学者たちが残してくれたから、残る神歌もある。しかし、その意味が本当に学者の言うことが当たっているわけではない”

色々とお話を伺ったのだけれども、一番響いたのは、「なぜ神歌を引き継ぐ人間を育成できないのか?」という問いへの返答でした。いわく。

“神歌は神様から赦されて歌うことができるからさ。歌えないのは赦されてないからだよ。”

この言葉には、様々な意味があり、そのことをわかりやすく解説していただきました。
まず、努力が必要で、その「努力を支えるものが信仰である」ということです。
さらに、信仰の中枢である神歌の歌い手には、信仰はもちろんですが、その立場を利用して自己の虚栄心を満たすようなことをしてはならない、ということを熱く語られていました。
大切な仕事だから、それは誰のためでもなく、集落全体のためであり、そのために「個人の名誉にはなるが、そのことを目当てにしてやるようなものではない」。
そういう姿勢でなければ「神から赦されて神歌を歌うことはできない」のだ、と教えていただきました。 
神歌を編纂して、それを世に出した外間守善さんの功績は偉大だと認めつつも、その方は「神に赦されてこその神歌で、学問と別物である」ということを力説していて、その説得力に納得させられたものです。

しかし、宮古から沖縄本島に戻り、外間守善さんの神歌研究の収集を実際にした新里幸昭先生のお話を聞いて腰を抜かしました。
新里先生は、「私は神から赦されて記録をした。今でも宮古の神から守られている」と確信を持って仰っているのです。
新里先生は外間守善先生の弟子筋にあり、宮古の古謡や神歌の収集をまかされ、録音やその現代語への訳を担当されたそうです。
いわゆる外間守善という、オーケストラがあり、その宮古島の作業におけるコンサートマスターのような役割を新里先生はになっていたことになります。


外間守善先生から新里先生へ宛てた手紙を、新里先生は保管していた。フィールドワーク前の準備やら、他のメンバーへのフォローのお願いやら、資料の購入と東京への移送など、事細かなマエストロからコンマスへの指示が書き連ねられていた。

新里先生は大宜見の喜如嘉という村落の出身で、宮古とはなんら関わりがありません。その新里先生がなぜ宮古の神から赦されることがあるのか?それは、新里先生が、神歌の採集の赦しを神女たちに長時間かけて説得をし、理解を得て、そしてそのことを神女たちから神へ報告し、さらにそれを成就祈願されていた、という事実があったからです。
つまり、「南島歌謡大成宮古島編」という書物には、新里幸昭先生の地道なフィールドワークと、そのことに賛同した神女たちの神への祈りと、神歌の録音への了解という、二つの赦しがあって成り立ったわけですよ。さらには成就した際の報告もあるか。
テープに記録して、それを起こしただけではないわけです。残すことの意義を理解して納得してもらい、その言葉を言語学的に発声記号にして、さらにはその意味も宮古の人に聞き、本島に帰ってからも宮古出身者から聞いて現代語訳をした。そんな努力があるからこそ神からの赦しをえられるんだなぁー、と思った次第であります(録音するアーカイブの作業だけでも大変なことは理解してますが、それに加えての面倒な作業の偉大さを語ってますので誤解なきようお願いします)。

発酵させるには、そのための温度やら、糖質や酸味やらエネルギーがいるわけですが、文化的な発酵には何が必要なのか?と考えると情熱ではないかと思い至りました。
「それが何の得になるのか?」
そんなくだらない問いに左右されない、「大切だから守りたい」という気持ちなんじゃないか、と思います。そこに、地元とかよそ者とか、そういう括りは関係ありません。土着信仰とは別で、文化を愛し守ろうとする心に出自は関係ありません。
かつて、明治になり、琉球王国が滅びた後に、首里城は近辺の人々がバンバン破壊しまくって薪にされていたのを、本土から赴任した役人が見かねて陳情して文化財として登録された、という歴史があります。
沖縄の人間が気づかない大切なことを、本土の人間が気付くことは多いのです。それこそ、「おもろさうし」を伊波普猷がときあかしましたが、それをレクチャーしたのは東京大学の先輩である田島利三郎だったのです。俺だって、ヨーリーから沖縄に関する知らないことを数多く教えられました。

日本は貧しくなり、文化的なものに目を向ける余裕がなくなりました。それは、日本化した沖縄も同様で、大切な文化と向き合って保存をすることに努力する人たちが、少なくなっていることを意味しています。
しかし、そのことに悲観するばかりではいけません。
神から赦しを受けられるまでとは言いませんが、馬鹿の誹りを頂戴するくらい、発酵した文化を守り続けていこうではありませんか。

残暑厳しいおりですが、お体に気をつけて!!発酵する力を持って、この侘しい時代を生きていきましょう。

武富一門 ryo-king

台風の暗雲立ち込める中、虹がさした。天佑であり、天啓であり、我々に赦しが得られたと勝手に納得した。

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