見出し画像

禅と千日回峰行の二人の対話からの学び

こんにちは!
株式会社オクリーCEOの山口諒真(@ryoma_2021)です。

今日は尊敬する塩沼亮潤さんの著書「今ここをどう生きるか」を読んだので、その感想を。

塩沼亮潤さんのプロフィール
1968年、仙台市に生まれる。1986年、東北高校卒業。1987年、吉野山金峯山寺で出家得度。1991年、大峯百日回峰行満行。1999年、金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行。2000年、四無行満行。2006年、八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。

過酷な修行を乗り越えてこられた塩沼亮潤さんの言葉には重みがあり、心に響く言葉がいくつもあった。特に印象的だった部分を抜粋でご紹介します。

塩沼亮潤:これは今の若い人にも伝えたいのですが、そういう試練が訪れた時に乗り越え方は二つあると思うんです。一つは、しんどいなと卑屈な心でその困難が通り過ぎるのを待つ。もう一つは、どんと受け止めて、自分の両の足で乗り越える。そうしなければ、自分の経験値は上がりません。だから試練が来た時には、鍛錬と思って、そこへ突き進んでいく。
〜〜一部略〜〜
塩沼亮潤:あともう一つありました、受け身にならないことです。受け身になると、やらされているという感じになり、肉体的に追い込まれていきます。常に気持ちは攻めの心で、捨て身で行に打ち込むことがポイントです。

これは学生時代にインターンをしていたNPO法人ジャパンハートの吉岡秀人医師からも何度か同じようなことを言われてきたから、すごく腑に落ちた。同じ山を登るとしても、後ろから剣で突かれながら嫌いや登るのと、頂上からの綺麗な景色を見るためにワクワクして登るのでは、同じ登るという行為をしても全く違った結果になることは想像できる。これれからも受け身にならず、攻めの気持ちを持ち続けたい。

塩沼亮潤:昔、千日回峰行で自分を追い込んで、苦行と言われる修行の中で自分を磨いてきたけれど、内面的な成長のスピードというのは、回峰行を行じていた時代と今を比べたら、今のスピードの方がかなり早いです。それは自分を成長させるポイントを知り、実践しているからなんです。
え?そんなの?という、大したことではないのですが。一つは、イラッとしたり、ムッとしたりする瞬間が、一日のなかで誰でもあると思います。その瞬間にマイナスの方向に触れた針を自分の意思で戻すという、とても簡単な作業です。
それから、もう一つは、一人を慎む。ひとりでいる時間は必ずありますから、その時間ほど自分を律して、ちゃんとする。本を読むときも正座、勉強するときもそう。身の回りも整理整頓する。カメラで撮ってもらってもいい、というような生活をする。誰かの前にいるときより、一人になるとピシッとする。なぜかというと、オンとオフが皆さん逆ですよね。一人の時にだらしなくて、みんなといる時はちゃんとする。そういう裏表を作らない。ということは、オンとオフがない。いい格好しないので、ストレスがなくてすみます。

ひとりでいる時間ほど自分を律してちゃんとする。このような生き方をしたいけどまだまだ程遠い。日常生活を丁寧に、そして誰にみられても恥ずかしくないような生き方を心がけたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?