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なぜ釜石でプレーすることを選んだのか

岩手県釜石市

人口およそ3万人の街。

そんな街に僕は住み始めて7年目になります。

かつて「北の鉄人」と呼ばれ日本選手権7連覇という偉業を成し遂げ、日本ラグビ
ーの歴史に偉大な足跡を残した「新日鉄釜石ラグビー部」

そのDNAを受け継ぎ、本拠地の釜石市に密着したクラブチームとして生まれ変わった「日本製鉄釜石シーウェイブスRFC」が今現在僕が所属しているチームです。

正直、このチームで29歳の今までラグビーをプレーしているなんて、昔の自分からしたら全く想像もできませんでした。

なぜなら、僕は高校からラグビーを始めましたが、高校時代、釜石にプロのラグビーチームがあることすら知らなかったからです。

当時の「釜石シーウェイブスRFC」の存在を知ったのは、大学2年生の時でした。

卒業後の進路を少し考えていた時に、東北に社会人のラグビーチームってなかったっけ?そんな理由から調べたのがきっかけでした。

釜石に社会人のラグビーチームあるんだ〜。へえ〜。
その当時はそんくらいの感じでした。

その翌年、大学3年生の時の事です。
夏合宿で菅平での試合終わりに、釜石の当時GMの桜庭さんに
「釜石に来てラグビーをやらないか?」
とお声をいただきました。

その時に、去年ちょっと調べた時に出てきてたチームだなと。
心の中で思いながら、「ちょっと考えます。」とお答えしたのを今でも鮮明に覚えています。

帝京大学は3年生の終わりの時には大体、自分の就職先についてある程度固めます。
そのため、そのことをきっかけに当時の「釜石シーウェイブスRFC」のことを調べるようになりました。

そして調べていく中で目にしたものは、
2011年3月11日。東日本大震災。釜石の街の様子でした。

そうか、岩手県沿岸は大きな被害があり、釜石市も大きな被害にあったのか。
とその被害の深刻さを改めて目にしました。

そんな場所でラグビーをして勇気や希望を与えているラガーマンがいるのかと。
当時大学生だった僕は、胸が熱くなりました。

しかし、僕は実はこの頃、大学卒業後
ラグビーを続け就職するか、それともラグビーをやめて教員を目指すのか。
その2つで大きく揺れていました。

教員になりたいと昔から考えていて、そのために大学では教育学部で教育について学びました。
なので、当時は少し教員を目指す方に気持ちが傾いていたかもしれません。

しかし、なぜ最終的に釜石でラグビーすることを選んだのか。

1番の理由それは、
『ラグビーというスポーツで人々に元気と勇気と希望を与えたい』と思ったからです。

決断する際に、釜石のことを調べた時の光景が浮かびました。
自分のためにではなく人々のために。
震災によって落ち込んだ街のために。
元気。勇気。希望。を与えるために。

人生でそんな想いを持ってラグビーができる場所は釜石しかないな。
僕はそんな想いから、釜石でプレーすることを選びました。

現在、29歳。
釜石でプレーするのは7年目になります。

今こうして釜石でプレーできていることに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、今もプレーをする際に心に刻んでいるラグビー人生のモットーがあります。

それは、
『僕のプレーを見てくれる人に、元気と勇気と希望を与えられるプレーをすること。』


残りのシーズンも応援してくださっている皆様のために、釜石のプライドを背負い戦いたいと思います。





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