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父が尾崎豊を聴かせてくれて本当に良かった


先日、「尾崎豊を探して」という映画を見てきた。渋谷のTOHOシネマズにて。

映画を見る前に、渋谷クロスタワーにある尾崎豊記念碑にたちよった。そこには多くの世代からのメッセージが書かれていた。

「あなたの歌に救われました。」

「尾崎ありがとう」

「45の夜」

エトセトラ。中には韓国語や中国語で書かれたメッセージもあった。


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僕が生まれた時には、尾崎はこの世にいない。でも受け継がれてきた歌がある。
僕は尾崎が、彼の音楽が好きだ。


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まだ僕が小さかった頃、確か小学6年生くらいだったかな。よく親父とドライブに行く時、気づけば尾崎の曲が流れていた。
親父は尾崎が好きみたいで、よく車のラジカセで流していた。尾崎と生まれた年が同じって言ってた。

学校からの帰りも、嫌なことがあって不機嫌だった時も、塾からの帰りも、車には尾崎の曲が流れてた。

当時の僕には、まだ音楽なんてものには全く興味がなかったし、激しくも優しく、ポップかつロックな曲が尾崎豊なんてシンガーソングライターなんてことも知らなかった。

いつから自主的に彼の歌を聴き始めたなんてわからない。僕の生活のなかに、確かに昔から彼は存在していたのかもしれない。気付いたら好きになってた。親の影響ってこういうことだと思う。

親父は僕に聴かせたくて尾崎を流していた訳じゃないと思う。昔から彼の曲が好きだったんだと思う。CDは車に置いてあったわけだし。



去年の春、帰省したとき、親父と一緒にギターを買いに行った。わざわざ僕の買い物に付き合わせた。
僕がバンドを組んで、ギターをずっと弾いてるのを親父は知ってたから、応援してくれた。
「ついでにオレも始めようかな」
なんてミニアコを購入した時には笑ってしまった。(しかも結構高いやつ…)大人のノリってすごい。

おふくろから聞いたことには、親父は練習した曲を地元の居酒屋で披露してるらしい。いつになっても青春ってあるんだなって思った。尾崎を歌ってるのかも。


高校卒業の時に、僕の学校は五七五で卒業をについての思いを文集に書く伝統があるんだけど、僕はそこに

「この支配からの卒業」

って書いた。先生からはちゃんと書けよ…痛いヤツだな〜なんて言われて、これは自由律俳句です!(笑)って押し通した。
今思えば、相当痛いヤツ。でもなんかちょっぴり誇りに思ってる。


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肝心の映画の感想は、僕の拙い言葉じゃ表しきれない。だからこの記事も書こうか迷った。

ただ、彼の苦悩、心の内は誰にも分からなかったんだと思う。

映画の序盤、渋谷の女子高生に尾崎豊を知ってるかどうかのインタビュー、彼女らは知らない。
それと、終盤のクロスタワーを訪れる若い子にするインタビュー。彼女は知っている。

そうやって、一部の人には彼の曲が受け継がれてる。
それだけで少し嬉しくなった。

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Apple Musicで「尾崎豊を探して」のプレイリストを作りました。よかったら是非、再生してみてください。


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