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こわいこわい

ネガティブな発言をする人は、面倒に思われ避けられがちだと思っている。(被害妄想が少し入っているかもしれないが)

特に、初対面でほぼ面識がない人へネガティブなことを言おうものなら、何も言わずにスッと避けられる。みんな、自分の人生を生きるのに一生懸命だし、見ず知らずの人の撒き散らすネガティブに付き合っている暇はないのだろう。

だから、無理にでもポジティブだったり、一緒にいて楽しめる話題や場づくりをするスキルがあると、世渡りしやすいのだろうと感じる。相手が自分に抱えきれない闇を持っているなんて1ミリも思わせずに、隠してニコニコすればいい。

一度ネガティブになり、まわりに信頼できる人がいなくて辛い本音を打ち明ける場所がなくなると、孤独感がやってくる。誰かに一度、話を聞いて自分の現状の本音を受け止めてもらえさえすれば、抱えている孤独感が体を蝕むことは無いのだけど。なかなか、受け止めてくれる人に出会うのは難儀だ。

負のループに入って追い詰められてしまうと、周りの人がちょっと優しさを見せて手を差し伸べてもすごい勢いで振り払ってしまい、人がどんどん近づかなくなる。わるい人間がそういう人を的確に見抜いて近づいてきて、いつしかよく分からない借金を背負いこんだり、よく分からない団体に所属していたり、”やりがい”を提供して承認する代わりに安価で働かせる黒い企業へ入社したりするのだろう。だから、孤独の負のループに入ってしまうと、人生が段々と大変になると思っている。

そして、生まれつき孤独感と無縁な人は、明るさや強さをどんどん発信し、まわりに人が集まり、さらにパワーをもらって明るくなり…という良いループを繰り返すのだろう。まるで、お金持ちが投資でお金をたくさん増やしていくように。

そして、その二者は日本の中では明確にセグメント分けされていて、交わることが少ないんじゃ無いかと思う。「存在は知っているけど、実在するとは思っていなかった」という存在なんじゃないかと。本当のお金持ちと一般人が交わらないのと同じような感じで。

だから、この国で”孤独感”を抱えて負のループに入ることが、とても怖い。誰も助けてくれないし、孤独感は自助努力でどうにかできる範囲を超える苦痛があると感じているからだ。自分は学生のうちにこの経験ができたから、ある意味幸運だったなと思う。

なんだかんだ言っても人の繋がりがある人は、お金がなくても人に頼ることができるから、孤独感に苛まれることはないと思っている。その対価として、おつきあいのお金がかかったりするのだろうけど。

孤独感の苦しみの果てに”貧困”となった人は、福祉が救済してくれると思ってる。でも、マイルドな貧困でギリギリ福祉の支援対象外となった弱者は、圧倒的に救われないなと思う。ただの弱者でしかなくて、競争に負けたがゆえの不利益と孤独感を抱えて、生きていても楽しい部分がないと思うだろう。

そんな状況を見るととてもじゃないけど怖くて「孤独ではない状況を作ることを最優先したい」と願って動いてしまう。利己的だけど、孤独感を抱えたがゆえに接する人へ危険人物として接するよりも幾分かはマシだと思ってる。

今は(精神的に)居場所があると思えるからここで余裕綽々でnoteを書いていられる。本当に追い詰められていたらこんな風に余裕を持てない。だから今の状況には本当に感謝している。でも今後、いつ孤独感を抱えるか分からない。せめて人との繋がりのなさゆえの苦しみを、お金で埋められる程度に稼げるようになれていれば良いのだけど。

無職をする場合も、この「孤独感」を抱える状況に陥らないように細心の注意を払わないと、すぐに”あちら側”へ持って行かれてしまうと思う。もともと打ち込める趣味や、定期的に会える友人がいれば問題ないかなと思う。

長期的に孤独感を抱えることは貧困のはじまりだと思う。こわいこわい。お金を含めた自己肯定感、知性、人との繋がりといった資産を持つことが生きやすさにつながるなぁと改めて感じる。

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