発酵ワークショップで伝えたいこと
昨年ご縁があって、発酵ワークショップを二度開催させてもらった。ワークショップのタイトルは「お米から始めるシンプル発酵生活」。発酵はとても裾野が広い分野なので切り口は無数にあるのだけど、私自身が発酵の奥深さにどっぷりハマった経緯を振り返ると、このタイトルが最もアツく語れるなという理由でお米を中心に据えた。
日本人の主食でもある「お米」。発酵というと何か特別な材料が必要だと思われがちだけど、家にあるお米だけでも色々な味わい方・使い方ができるということを知ってもらうのが私の発酵ワークショップの目的だ。お米の表面に棲みついている乳酸菌や酵母菌といった菌たちにうまく働いてもらいさえすれば、玄米から水素水に匹敵する還元水や豆乳ヨーグルトが作れるし、米ぬかはぬか漬けや洗剤になるし、とぎ汁は水キムチにもウェットティッシュにもなる。
ヨーグルトもウェットティッシュも、市販品を買う方が効率的で楽だという人はもちろんそれでいい。でも心身に不調があるなどの理由で、安価な市販品が口や肌に合わない人にとって、発酵モノを手作りすることは実はとてもコストパフォーマンスが良い。飽き性で非効率なことが嫌いな私が、発酵DIYをそこそこ長い期間楽しめている大きな理由のひとつはそこにある。多くの発酵に必要なのは「少しの手間と、ちょっと長い放置時間」で、仕込みさえすればあとは放ったらかして菌たちの営みに任せればいいというものがとても多い(なので短気な人には不向きかもしれない)。そして数日なり数ヶ月なりを経て出来上がった発酵モノには、市販品にはない旨味や安心感がぎゅっと詰まっている。疲れた日に飲んだ味噌汁が、カラダの隅々にまで染み渡っていくあの感じを、もっと色んなシーンで再現しているようなイメージだ。
発酵の主役である菌たちは、肉眼では見えないためその存在をなかなか意識しづらいし、ひとたび敵視されると「除菌・殺菌」の憂き目にさえあう。でも食物連鎖の環の中には分解者として必ず菌類が存在しているように、すべての動植物は菌と共存共栄しなければ絶対に生きていけない。目に見えない隣人を過度に恐れることなく興味を持ち、こちらから歩み寄ってみると、今まで自分がどれだけ菌に「守られてきたか」を実感できる瞬間があるのだ。
種菌を仕込んだ豆乳が翌朝ビシッと固まりヨーグルトになっていたり、蒸した大豆に納豆菌が白い菌糸をベールのように張り巡らしているのを見たとき、思わず手を合わせてしまったことがある。ああ見えてはいないけれど、ここに確かに菌はいるのだな、と。
この「目には見えないけれど守ってくれている存在」を、昔の人たちは「一粒のお米には七人の神様が宿っている」と表現したのではないだろうか。
初めて名前を聞く海外のスーパーフードを、とりあえず試してみるのは面白い。でも本当に必要なもの、日々の糧になるものは、既に身の回りにあるのだと知ったとき、私は何とも言えず豊かな気持ちになった。
我が家の娘たちはほとんど毎日手前味噌の味噌汁を飲み、週に数回豆乳ヨーグルトを口にしている。そして二人とも納豆ご飯が大好物だ。
振り返れば四歳の長女はもう三年近く、二歳の次女は生後半年の入園以来、一日も保育園を病欠していない。いつも元気な娘たちを見ていると、その周りにいる「目には見えないけれど守ってくれている存在」を感じずにはいられないのだ。
お米という、最も身近な食べ物を起点に壮大に広がっていく発酵の世界。その面白さを、今年もワークショップで暑苦しく伝えていきたい。