見出し画像

ドアと鍵の物語〜第一章 1

最初に鍵を使った記憶は小学生の時で、名古屋に住み始めた頃だったような気がする。小学校6年の春に東京から名古屋へ引っ越した。東京では祖父母の家の敷地内に家を建てて住んでいたから鍵をかけたこともなく、仮に家に入らなかったとしても向かいにある母屋に行き、冬ならばこたつに入っておやつを食べるという昭和感満載の放課後を過ごせばよかった。扉というのは鍵がかかっていないものだった。小5の終わりの春に風が吹き、なぜかこの場所を去る奇妙な予感がして一週間後引っ越すことを告げられた。初めての転校だった。前回引っ越したのは小学生になる時だったから父が転勤族だなんて理解していなかった。学校でお父さんの職業を聞いてくるように言われて父に尋ねるのだけど、仕事が好きでない彼ははぐらかすだけで、きちんと答えることはなかった。職場では新聞をよむんだよ、とか、土地の売買の仕事をしていると言う回答にそれじゃあ不動産屋さんかしらね、と先生はいうのだけどそうではないことは知っていた。おそらく用地買収関連の業務に携わったいたのだと思う。役所の、とある部署で。

仕事というのがどういうものか理解するタイミングを失ったが、毎年年末になると予算の関係で父の帰りは遅くなり酩酊して帰ってきた。ある時は庭の池に落ちた。流石にドボンと言う音がした時は飛び起きたけど、ああまたかと思った。そんなに嫌ならやめればいいのに。祖父の会社が倒産して公務員になった父には仕事を辞めると言う選択肢はなかったようだ。

とにかく80年代の半ばに名古屋へ引っ越し、憧れの転校生になった。住まいは一軒家から公務員宿舎になり、宿舎の1階の入り口のドアには鍵がかかっていた。鍵は多くの家庭でそうしていたようにドアのポストの内側にかけてあった。学校が終わり家に帰ると母が家にいる時はドアが開いていてそのまま帰宅したが、たまに彼女が外出しているとその鍵を取り出してドアを開けた。そして鍵が引っかかって取り出せないことがあった。それが中に入れなかった最初の記憶だ。目の前にドアがあるのに鍵のせいで入れない。意味がわからない。泥棒などいなかった江戸時代には鍵などなかったのに。鍵は入ってほしくない人を排除するためのものなのにうまく機能していなかった、と今にして思う。インテリジェンスなドアが入り口の侵入者を判別するシステム備えて知るのはずっと後のことだった。スパイ映画の世界かな?ドアから入れなくて裏のベランダから柵を乗り越えて家に入ったら怒られた。泥棒みたいなことをするんじゃないと。だけど中に入らないようなシステムを構築する方が悪い。仕方なく謝ったけど、どう考えても私は悪くない。いまだに謝れと言われると、絶対にあやまらなのはこの時の記憶と、最初に働いた会社で自分は悪くないのに次から次へとかかってくる電話のクレームに対して申し訳ありませんと言い続けて、もう一生分のごめんなさを使い切ってしまったからだ。勉強しろと言われると子供が今やろうと思っていたのに言われたからやらない、と言うのに似て一種のスネなんだと思う。とにかく、謝れ、は私の地雷のひとつだ。

写真は研究所の入り口に生えた木。信号待ちの人々をこの木は観察している。冬の景色。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?