アメリカでの違和感
NYでは声を大きくあげ続けていないと「積極性がない」と見做されることがたまにあるようです。
言ったもん勝ちなんだろうか。。
私は自分からしゃしゃり出るタイプではなく、大勢いる場所で積極的に話すのが苦手です。
そういえば、日本でも20代の頃自分にはハングリー精神が足りないと思ったことがありました。そんな私でも気づけばずっと作品を作り続けています。
その頃働いていた会社の先輩にそのことを自分にはハングリー精神が足りないと話したら「りょうこちゃんはそのままでいいんじゃない?ハングリー精神がないという良さもあるよ」と言われました。その頃はよくわかりませんでしたが、今はなんとなくわかる気がします。ハングリー精神があろうがなかろうが自分のペースでやっていくことが大切なんだと思います。
自分が撮った写真にキャッチコピーのように言葉を載せるのにハマってたことがありました。とある歌劇団出身の元ルームメイトを被写体として撮るのが好きで、NYに遊びに来た時にたくさん撮らせてもらいました。
彼女は私が移住する前に短期で滞在してた時に借りてたお部屋でルームメイトでした。彼女も私も、その後日本に一旦戻りました。彼女は他の国にその後住んでいたそうです。
再会した時に、新しい道に進む前にNYに遊びに来たと言っていたのが印象的でした。
ジンセイヤッタモンガチ
その彼女を見ていて浮かんだ言葉です。
そしてこれが撮った写真にその言葉を載せたものです。
彼女へ、そして自分へのエールです。
やらないと成功するかしないかわからないからやりたいのならばやらないよりやる人生の方がいいんじゃないか、と過去の経験からも思うからそんな感じの意味で写真の上にこの言葉を載せることにしました。
誰にネガティブなことを言われたとしても、気にすることなく納得するまで突き進めばいいのです。自分の人生ですから。
お気に入りの写真です。
これは他人と比較した際の勝ち負けの意味の”勝ち”ではないです。
ギラギラとした負けず嫌いの感じではなく、自分が後悔しないための言葉です。
アメリカで感じる違和感はこの感じがなかなか伝わらないということです。
自分がいる世界がそうだからなのか、NYは他人と比較しがちなカルチャーな気がして、ずっと勝ち負けを気にしないといけない気がして、
自分が求めている幸せ、心地よさ、とは一体何なんだろうか、と思ってしまいます。
どんなことがあっても、他人を蹴落とすようなことは自分の美徳と反するので絶対にしません。自分の権利は主張しますが、他人を蹴落とすのはカッコ悪いのでしません。これだけは自分に誓っています。
自分の実力を信じて、自分が欲しいもの、自分が必要なものはアメリカで手に入れます。他人を蹴落とさないと手に入らないものは身分不相応なものなのだと思います。
ずっと私を信じて応援してくれている家族のためにも。