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終わらない自分との鬼ごっこ

逃げる、って悪くない。

辛いことを我慢して、乗り切ったとしても何か得られるかって別に大したことないんじゃなかろうか。
しんどかったことばかりが記憶に残ってそれが軽いトラウマになることもあるだろうし。
極端な例えだけど、目の前に刃物を持って今にも斬りかかろうとしてるのに「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」ってそこに突っ立ってるか? って話。

大人になってからはすぐに逃げる。
苦手な仕事、一度やり遂げてみて「やっぱり苦手だ」って確信したら次からはやらない。間違いなく、私よりその仕事が得意な人はいる。
家事もどうしてもしんどいー、ってなったらやらなくったっていいし、なんだったら家事代行サービスに頼んでみたっていい。
嫌いな人からの食事の誘いなんで全力で断ればいい。時間の無駄だと思ってる。それなら1人で美味しいケーキでも食べてるほうが心も満たされる。

でも、たったひとつ、自分から逃げちゃダメだな、というのを最近ヒシヒシと感じる。
「自分から逃げる」って言葉がまた抽象的なんだけど。

自分から逃げても、自分は追っかけてくる。
自分に言い訳をしたり、人のせいにして逃げた事柄ってすごく後悔が残る気がする。

例えば、原稿が〆切に間に合わなかったとする。
「完ぺきな原稿に仕上げるには時間が足りなかったんだ」
本当に?
あのとき、少しでも早く取り掛かってれば間に合ったんじゃない?
最初からタイトな日程だったのにできる、って自信過剰になって引き受けなかった?
そもそも完ぺきな原稿ってなに?

……って書いていて胃が痛くなってきた。
実際にそういう言い訳を自分にしてたことがあったから。いや、今でもしちゃうことあるかも。
それって後からめちゃめちゃ後ろめたくなるんだよなぁぁぁぁ。

若いときってちょっと自意識過剰なところが少なからずあって、自分は人より才能あるんじゃないか、とか、今はまだ何者にもなれてないんだとか。
自分ができないことを理不尽な何かのせいにしてしまう。それも自分から逃げてるうちに入るんじゃないかな。

ただ自分の場合だと同世代に宇多田ヒカルさんや中島美嘉さんとか若い頃から活躍してる歌姫がいたり、綿矢りささんが芥川賞受賞していたり、何者かになれる人はもうなってるんだな、っていうのは比較的、早い段階で気づいてはいたので逃げる理由にもできなかったけど。

理不尽に叱る人もたくさんいる。
でも、本当に自分のことを見て叱ってくれる人もいる。
厳しく注意されると思考停止しちゃうけど(私もそのタイプ)、感情的にただ落ち込むんじゃなくて、なんでその人が注意したのか考えてみるべきじゃないかなぁ、って思う。
大人になると叱ってくれる人もいなくなる。失ってみてから気づく大切さ。
育てる側の人はとてもパワーを使う。
それが暖簾に腕押しが続いたら、注意する側って意外とあっさり諦める。
振り返ってみると、私に愛想を尽かした人がたくさんいるんだろうなぁ、と思う。
申し訳なさでいっぱいになるし、なんて勿体ないことをしたんだろう、と。思い当たるいくつかのことは間違いなく、それは私の中で『逃げた』記憶だし、後悔になっている。
自分の図星をついてくる人の言葉ほどよく聞いたほうがいい。

『自分はこの程度の器におさまるような人間じゃない』
って逃げぎわに言うの、本当にダサい。聞いてて恥ずかしさで逆に「うわぁぁぁぁぁ」って追いかけたくなる。
アレだよね、新喜劇の「今日はこのぐらいにしといてやらぁ!」でズッコケちゃう感じ。

逃げるのは恥ずかしいことじゃない。
逃げるにしても正々堂々と逃げたい。後から恥ずかしくなってしまうような逃げ方だけは避けたいものだ。


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