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【小説】今日の夕飯なあに?

駅の改札を出たところで足を止めた。
スマホを取り出し、コミュニケーションアプリを開く。一番上のトークルームを開き、『今駅に着いた』と送信する。
すぐに既読マークがついたメッセージ。お疲れさま、というスタンプが送られてきてフッと息が漏れる。最近、彼女がお気に入りだというキャラクターのものだ。俺はほとんどスタンプは買わないが、彼女はホイホイとよく新しいものを仕入れているそうだ。意外と送った相手に喜んでもらえるのだと言う。

『今日の夕飯は何?』
『グラタンと豚丼どっちがいい?』

二択か。おそらく、どちらかが明日の夕食になるのだろう。どっちがいいかなあ、と考えながら歩き出す。今日の昼は忙しくてサンドウィッチをかじるしかできなかったから、米が食べたい気もする。

駅前にはコンビニやカフェがポツリポツリとあるが、1分も歩けば住宅が並ぶばかりだ。似た形の一戸建てがいくつも行儀よくドアをこちらに向けている。この時間帯にはほとんどの家の灯りがついている。
どこの家からか、魚を焼くいい匂いがしてきた。カレーの家もある。何気にこの夕食どきの家までの道のりが好きだった。幸せな家ばかりではないだろうけれど、夕飯の匂いにはどうも多幸感がある。俺も家に帰ったら夕食が待っている、と思うと幸せだった。ホッケが食べたいなあと思っていると、手に持ったままのスマホが震えた。

『どっちがいい?』

返信をしないままでいたことでスマホの向こうの彼女がイラッとしたようだ。
まずいまずい、と画面に指を滑らす。

『グラタンと豚丼じゃずいぶんと違うね』
『どっちがいい?って聞いてるでしょ。別にグラタンをおかずに豚丼を食べろって言ってるわけじゃない』
『うーん、豚丼』
『わかった』

別に彼女が不機嫌というわけじゃない。自分のペースでやりとりができないと少し不機嫌になるだけだ。メールやメッセージの言葉がキツいのはそういう仕様だ。前に、俺のスマホを横から覗き見た同僚から仲が悪いのか聞かれたことがあったが決してそんなことはない。彼女のこういうところが結構好きだったりもする。
メッセージではこんな感じだが、家に帰るころにはだいたいご機嫌になっていて「お風呂湧いてるよ」などと言ってくれるはずだ。最近、入浴剤に凝っているらしく、「青くなるのと緑になるのとどっちがいい?」などと聞いてくる。正直、そういうのはどうでもいいんだけど、彼女が嬉しそうにしている気がするから毎日なんとなく選ぶ。昨日は青にしたから今日は緑にしようか。それとも全く別の色か。

一軒家が立ち並ぶ通りを抜けると、今度はアパートが見えてきた。新しそうに見えるが、すでに築10年だ。もう5年住んでいる。
鍵穴に差し込んだ鍵。ガチャリ、という音が妙に大きく響いた。
家の中はひんやりとしていた。止まっていた空気が俺によってゆっくりとかき乱されていく。
彼女が、いない。
電灯をつけてからスマホで彼女の番号を呼び出す。

「……もしもし」
『いつもお世話になっております。ご自宅に着かれましたか? 白石さま、今日もお疲れさまでした~!』
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
『豚丼は鍋に入っておりますので、そのままコンロで温めてください。温泉卵はお好みでおつけくださいね。グラタンは冷蔵庫の上段に入っていますので、明日、温める際にチーズをかけていただければと……』
「すみません、それ、明日の夜のメッセージで入れてもらってもいいですか?」
『そうなりますと、オプションとして500円かかってしまいますが、よろしいでしょうかぁ?』
「はい、構いません」
『かしこまりました! お風呂はタイマーセットしたので、もう沸いているかと。今日の入浴剤は血行促進効果のある赤のものと保湿効果のあるピンクをご用意してありますので~』
「じゃあ、ピンクにしようかな」
『ではピンクの入浴剤をご入浴の5分前に浴槽に入れてください!』
「わかりました。ありがとう」
『いえいえ、本日もご利用ありがとうございました! 明日はメッセージのみでした?』
「はい、できれば昼にもお願いします。【年下彼女コース】で」
『かしこまりました。他にもご要望がありましたら家事代行サービス・ナモラーダ、フリーダイヤル0120-××-×××までお願いいたします!』

電話を切ると、とりあえず上着を脱ぎ、ベルトを緩めズボンを脱いだ。靴下もついでに脱げた。
ワイシャツとネクタイにパンツという格好でバスルームに行き、入浴剤を投入する。

夕食どきの駅から家までの道のりが好きだ。
今日こそは恋人が家で待ってくれているかもしれないと想像できるから。

Fin.

~BGM:『恋』星野源

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