『あなたより苦労してなくてごめんなさい』
「苦労してなさそうでいいね」
とよく言われる。
そういうときは
「そうなんです〜よく言われます〜」
ってヘラヘラしてるけど、頭の中では相手のことをバッキバキのギッタギタにしている。
なぜだか知らないけど「苦労していないと物書きになれない」というか「苦労していないやつは作品作りをするな」という圧がある。
気のせいだったらすみません、その場合は私の被害妄想ですね。えぇ。
で、実際、私が苦労していないかというとそういうわけではないと思う。そこそこしんどいことはあった。
……って、ここで苦労話をすると、「私だってもっと〇〇が××で!」と苦労話マウンティングが起こるのでやめておく。不幸話とか苦労話してるときって何か脳から分泌物でているんだっけ。話している内容とは裏腹にみんな目がギラギラしてるよね。私もそうだと思う。脈絡のない不幸話をするときは「かわいそう」「大変だったね」と言ってもらいたいもの。
とは言え、実際問題、苦労してない人なんていないと思うんですよ。
以前、ある人に
「ふくださんってなんでわざわざライターになったの? 大して不幸な目にも遭ってなさそうなのに」
と聞かれて、私の何を知っていてそういうこというのかなぁ、と首を傾げた。
むにゃむにゃとごまかしていると、彼女は嬉々として自分の苦労と不幸な生い立ちについて話し始めた(嬉々として、と言っちゃう時点で偏見が混じっているのは分かっている)。でも、その話がちっとも不幸には思えなくて。
むしろ恵まれてる話をされたような気がして、不幸話するフリして生い立ち自慢するとは相当な手練れだな、おぬし……! と思った気がする。
もし、物書きが全員苦労人か不幸を背負った人ってどうなんだろう?
そんなもの読みたいか?
そういった感情が原動力になるというのも分かるけども。
でも、そもそも、ひとつの作品作るのに(コラムや小説、シナリオでもなんでも)七転八倒しながら書いてるんだから、それだけでも十分すぎるほど苦労してないかな?
単純に「苦労人」や「不幸な人」がバックボーンを背負って物書きになってることをあえて言うのは「自分が選ばれし者だ」って主張したいだけなんじゃないかなあ。……なんて大して苦労もしていないらしい私は思っちゃうんですよね。
そもそも多くの人は幸せになりたいと思っているわけだし、書くこと、作品作りがその手段のひとつなんだから、そっとしておいてほしい。
「私にはこれしかないの」と伏し目がちに言われても困る。こっちだって一緒だ。
心配しなくても、私はあなたの邪魔はしない。
だからあなたも好きにしてほしい。周りの人になど、目もくれずに。
ありがとうございます。 本と旅費として活用させていただきます! 旅にでかけて次の作品の素材に☆☆