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粘着質な恋をしている気分

1年に1回、あるかないかぐらいのことなんだけど、全く何も書きたくなくなる。11月がそうだった。

スランプとも、やる気がないのとも少し違う。そういうときは本も読みたくないし、雑誌もしんどいし、スマホは重たく感じるし、SNSも避けたいし、万が一Twitterを開いてポエムを見かけると片っ端からブロックしていく(別にポエムが嫌いなわけではない)。
パソコンの前にも座りたくないから原稿も進まない。
なら、別のことをして楽しめばいいじゃないか、という話なのだが、好きなことベスト3に「書くこと」が入るぐらいなので、とんでもない喪失感。
どうにかして、「いつもの感じ」を取り戻すためにあがいてしまう。

小さいころ、海でおぼれかけたことがあった。
生死がかかれば泳げるようになるだろうと、海の中に放り込まれたのだ。どうにかして海面から顔を出そうと手足をバタつかせるけど、私を投げた父の姿が見え隠れするばかりで、一向に息は吸えない。あがけばあがくほど体が重くなり、辛くなる。もう駄目だと諦めかけたときに手を引っ張られ、ゴボゴボとしょっぱい海水で口をいっぱいにしながら陸揚げされた。

まあ、気分としてはそんな感じ。

かろうじて立ち直ってきたけど、今月の中旬あたりはひどかった。
絶望して、卑下して、落ち込んで、絶望して……と繰り返していた。
「書きたいのに書けない」スランプはなんとなく抜けられるようになってきたけど、「書きたくない」というのはどうにもこうにも。

書く以外に楽しいことを見つければいいのだろうけど、如何せん飽きっぽいし、何事にもハマらない。たぶん、今期毎週楽しみにしているドラマも3ヶ月だから続くようなもので、これが半年とかになると無理だ。2ヶ月強でそろそろいいかな、となってきている(珍しく今年の大河ドラマは毎週見ているけど、それはおそらく低体温の状態で見ているから)。好きなものはたくさんあるけど、なんというか、こう、浅いのだ。個人的にはそれが欠点にしか思えず、どれかにはむっちゃハマったろ! と思うのだけど、ハマることに疲れるというか、そのパワーがないというか。なんだろうこれは老化の一歩か、と思ったけど、高校生の時からそんな感じだったことを思い出した。残念。

文章を書くという行為はどういうことなんだろうなあ、と思う。
読み手それぞれがイメージをふくらますことができるから、すごく自由な世界だと思っていたんだけど、それならば当然のことながら悪い方向へイメージが向くこともあるわけだし。それにビクビクして、やんわりとした表現にすると「結局何が言いたいねん!」と当たり障りのないものになってしまう。だからと言って、攻撃的なものをあえて書くのはやっぱり違うと思う。
こう、誰か1人でもいいから、心に響くようなものが残ればいいのに、そういうものが書けたらいいのに。

しかし、書きたくなくなるときの理由はだいたい決まっている。
ハッと我に返って「おれ、文章ドヘタクソだな……!?」となったから。
好きこそ物の上手なれ。こんなことを繰り返しながら、少しでも変わっていけたらといいのに、と目を細める雨の日曜日。

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