感謝の魔法を使おう
ザ・マジックによる魔法の毎日
大嫌いな両親へ
私は両親のことが嫌いだった。
私の中では長年否定さて、行動制限されて育ったと思っていたからだ。
窮屈で悲しくて悔しくて、自信もなく自己否定が強かった。
行動を起こす前から全てを否定して制限されていた。
これが愛情からだと気が付くには時間を要した。
愛されているとは
愛されたいとか愛されていないとか、言葉では聞くが一体どういうことなんだろうか。
人は何故、愛されたいと思うんでしょうか。
愛されていると感じるときはどういう時だろうか。
愛されていないと感じるときはどういう時だろうか。
そして、その時に感じる感情はどのようなものだろうか。
愛されたいと思う時は、愛されていないと感じている時だ。
愛されていない時は悲しくて不安である。
私は独りぼっちで悲しい存在だと深く信じ切っている。
しかしそれは本当にそうだろうか。
あなたが今生きていることも、難なく生活できていることも一人では成しえなかったことである。
あなたは周りには誰もいない、見方してくれる人なんて絶対にいない。
そう信じているかもしれない。
本当にそうだろうか。
感謝するとはどういうことなのか
感謝しようとか、感謝が足りないとかよく耳にする。
しかし、無理に感謝をしようとしてもやはり無理である。
なんとなくで感謝をしても、言われるがままに感謝をしても無意味である。
感謝とは沸き上がるものである。
自然と湧き上がることが出来ないのであれば、感謝に気が付くようなアクションをとればいいのだ。
感謝が出来ないときや感謝が何なのか分からない時は「ない」にフォーカスしている時である。
私には何もない、何も出来ていない、誰も分かってくれないし愛してくれない。
全てが「ない」ということになっているのだ。
しかし今あなたが生きているということは、沢山の人からの恩恵を受けているということなのだ。
電気が付くのも、水道から水が出るのも当たり前ではない。
毎日ご飯が食べれることも、買い物に行けば欲しい物が帰ることも当たり前ではないのだ。
赤ちゃんは、抱っこも会話もされずにいると亡くなってしまうそうだ。
今あなたが生きているというとは、沢山の愛情を受けて育ったということなのだ。
拗ねたままの私と大人になった私
私は長年、愛さてれないと強く思い信じて生きてきた。
両親からも祖父母からも愛さてれいないと強く思っていた。
兄弟姉妹とは比べられ、私以外の兄弟姉妹は依怙贔屓されているように見えた。
そうしているうちに、私は拗ねてしまったのだ。
私だけ可哀そう。
私だけ寂しい。
私だけ愛されていない。
そうして私は拗ねていったのだ。
どうせ私なんて。
どうせ私なんて愛さていない。
どうせ、どうせとずっと拗ねていた。
そう、拗ねていたのだ。
本当は愛されたいと思っていたのに、拗ねていたのだ。
私なんて、どうせ愛されていないし愛さてない。
こういう状態なので感謝なんて出来るわけなかったのだ。
口を開けば文句ばかり、頭の中も文句や悪口ばかり。
不平不満ばかりだったのだ。
そんな私が感謝に溢れ、親兄弟にも感謝が出来るようになったのである。
その経緯と感謝のワークが出来るザ・マジックを紹介しようと思いこの記事を書いている。
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