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お引越しのお手伝い(食料班)と社会的なつながりがあることについて

今日は知り合いのお引越しのお手伝いに行ってきました。


引越しって、荷物を出したり片付けたりで超忙しい。
ご飯食べたりゆっくり寝るとか風呂入るとかは後回しに。
それならご飯お届けしますわよ。

私は人の家に入るのがちょっと苦手。
なぜか落ち着かなくて、そわそわ。
酒が入れば…とすぐ酒の力を借りようとするくらい苦手です。
なので、引越しのお手伝いとなると尻込みするのですが何か役には立ちたい。

そうだ、ウーバーだ!!(乳母ではない)

すぐ食べられるおにぎりと、寒いだろうから芋煮を作っていこう。
芋煮は醤油味+豚肉派。
山形とは牛肉で戦争が起きますが、仙台在住時はどちらも作るという大学生の胃袋ならではの方法で和平を成立。
今回は敵国がいないため一人勝ちです。

…豚汁といった人、足の小指をぶつける呪いをかけておこう。

保温バッグ+タオル+鍋

自宅からは10分程度で到着するくらい近くにお引越しだったので、直前まで温めておいてガス火にかけないでも温かく食べれるように工夫。

でも、あと一歩足りないのが私でして、そこまで考えたのにおたまと食器派持っていかないという失敗を…
ごめんね…

握り飯は新聞に包むと保温できるんだぜ

おにぎりは新聞紙に包まれるし、鍋は大学から使っている20年以上の焦げつきまくる年季もの。
インスタ映えとは縁のないウーバーですが喜んでもらえて、本当に嬉しい。

ところで今回のこのお引越し、人の力を借りて業者なしでして、引越し=業者と思っていた私にとってはちょっとしたカルチャーショック。
でも、考えたら実家から大学に下宿する時は父親に手伝ってもらったし、あれ?助けてくれる人がいないから業者を使うのであって、業者が使うのが当たり前って考えはもしかして違うのかも?と思ったわけですよ。

介護だって、身内だけでは無理だから業者を使う。
でも、助けてくれる人がいればヘルパーはいらないし、昼間遊びに行き来する友人がいればデイサービスはなくてもいいのかもしれない。
サービスがいらないというわけではないの。
でも、でもだよ。金を通したサービスばかり成長させて、知人友人近所の人というネットワークを消してしまったのが今の助け合いのない社会のような気がします。

社会的繋がりってのは、行政に旗を振って作るものじゃなくて、繋がりで生活が回ったその先にできるものなんだと思う。
それこそが地域ケアなんじゃないかな?

すぐにできるものではないし、もしかしたら自分が頑張るばっかりで受け取るものが少ないこともあるかもしれない。
でも「金でなんとかして繋がりをダメにした社会」を「繋がりで助け合いつつ、金の力も借りる社会」に変えられるとしたら、子供達に素晴らしいプレゼントを残せる気がするよ。

ゆかりが好きなんだって

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