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鬼たちに捧ぐ 羽生結弦に幽玄を見た日

 席はジャッジ側スタンドのほぼ頂点中央。巨大なさいたまスーパーアリーナのすべてが見下ろせるがリンクは谷底の湖のようだ。能楽堂で言うならば正面奥、通の座る席だと思うことにする。
2019年3月23日世界フィギュアスケート選手権最終日、男子シングルフリーの競技開始は約九時間後だ。リンク上ではショートプログラムで7位から12位の成績だったスケーターたちがそれぞれの軌跡を描いて最後の公式練習に臨んでいた。持ち時間終了1分前を告げるアナウンスが入るころ、3割ほど埋まっていた客席は歓声ともなんともつかない、押し殺した悲鳴のようなざわめきに覆われた。ジャージのポケットに手を突っ込んだ羽生結弦が階段を上がって姿を現したのだ。
 空気の色が変わり、一気に高まる緊張感。いよいよ優勝を争う最終グループの最後の公式練習が始まる。前のグループのスケーターたちは次々とお辞儀をしてリンクから上がっていくが、下見のジャッジたち、メディア席でカメラを構える報道関係者たち、そしてこの練習を見たいがために午前十時の開場直後から入場している観客の視線はすでにほぼ羽生一人に集中していた。
 コーチにエッジカバーを手渡し、羽生は軽く挨拶するように両手を氷にタッチしてから他の5人とともにリンク中央へと滑り出していく。時計と反対周りにリンクを周回しながら上体を動かし、すぐにきれいなトリプルループを跳んだ。続けて4回転トウループを1回、2回跳び、ジャージの上着を脱いでコーチに渡す。
 一挙手一投足に拍手とざわめきが広がる。再び滑り出した羽生はジャッジ席前をスピードを上げながら通過しショートサイドを回ると竹とんぼのようにふわりと離陸し、4回転トウループ、続けて腕を振るようにして前向きに跳び上がる。悲鳴のような歓声と拍手をBGMに、お手本のように見事なトリプルアクセル、そして完璧な着氷。世界で羽生しか跳んでいない4回転&3回転半のジャンプシークェンスだ。氷に降りてからここまで、5分と経っていない。
 羽生は引き締まった表情のままにこりともしない。昨年十一月、怪我による休養の原因となったロステレコムカップの時よりも心なしか体が細い。靱帯損傷による休養で筋肉が落ちたのか、足首への負担軽減のために意識的に体重を落としているのだろうか。

 羽生はロステレ杯ショートプログラムをほぼ完ぺきに滑り切り、110.53という世界最高得点を記録。そのままフリープログラムでも新ルール最初の200点越え、そしてトータル300点越えで独走態勢を続けるかとも思われた。ところがフリー当日、公式練習のループジャンプで転倒して再び平昌五輪前と同じ右足靱帯を損傷。常識で考えれば欠場するところを強行出場し、優勝した。
 しかし当然ながら靱帯の状態は悪化し、その後のグランプリファイナル、全日本選手権は欠場を余儀なくされた。再起を気遣われる程の怪我であった。
 しかし、スケート界が舌を巻いたのは羽生の胆力だけでなく、冷静な判断と制御力だと思う。羽生はロステレ杯練習中の致命的な転倒直後、立ち上がり、そのまま左足だけでリンクを周回しながらジャンプ構成の変更プランを立て直したという。コーチに相談することもなく、ほんの数十秒間の間に怪我をした足でも可能な構成を頭の中で作り上げると曲の終わりを待たずに引き上げた。
 本番では4回転ループを左足で踏み切るサルコウに変更するなど右足への負担を減らす構成で滑り切った。
 ジャンプの種類を変えればスケーティングの軌道も変わるし、許されるジャンプの種類と回数には複雑なルールがある。高度なステップの組み合わせで構築されるシークェンスをぶっつけ本番で正確に滑るなどは神業のようなものだ。そんな状態で2位に大差をつけて優勝した羽生を世界は称賛したけれど、振り付け通りの高難度構成を達成できなかったことは心残りだったに違いない。その後の試合をすべて犠牲にして治療・リハビリを行い、シーズン最終の世界選手権に出てきた以上、羽生は今度こそ完璧なフリープログラム「Origin」を披露したいはずだ。

 リンク上の羽生は時々コーチのもとへ戻っては二言三言言葉を交わし、フリープログラム冒頭からの流れに沿って4回転ループ4回転サルコウまでを繰り返した。昨日の公式練習でも何度も確認していたというパートだ。
 4回転ループジャンプは2016年に世界で初めて羽生が試合で成功させたが、平昌オリンピックシーズンの怪我以降封印した。今シーズンの新プログラム「Origin」で復活させたが、初戦チャレンジャーシリーズでは転倒、グランプリシリーズ1戦目ヘルシンキでは着氷がギリギリとなり、ロステレ杯は前述のように右足をかばうためサルコウジャンプに変更して跳ばなかった。羽生としてはフラストレーションのある状態だろうし、このジャンプを成功させて完璧以上のフリーを滑らなければこの世界選手権で優勝はない。一昨日のショートプログラムで4回転サルコウが2回転になるミスがあったためにトップのネイサン・チェンとの差は約十三点と開き、3位に甘んじている。しかし、過去の世界選手権ではショートプログラム5位から、世界最高得点を更新する完璧なフリープログラムを滑って逆転優勝というドラマを演じてみせたこともある。

 羽生のことを「世界で最も奇跡を起こすのに慣れている男」と欧州の某解説者は呼ぶ。常識では無理でも彼ならばやるかも、と思わせるだけの実績があるからだ。4か月以上のブランクを経た世界選手権直前の記者会見で「状態は100%」と言い切った羽生。しかしこの2年間に2回、同じ右足首に重症を負っていることを考えれば問題がないとは考えられない。ショートプログラムでの失敗もそこに起因するのではないか。平昌五輪の際もそうだったが、彼は独創的なパワーワードを操って観客から解説者、スポーツ記者、そして自分自身をも暗示にかけているようだ。妖術師の究極の魔法は敵ではなく自身に施すもの、という話を思い出す。自らに術をかけ「常ならぬもの」に変身することによって追随を許さない絶対的な境地に入り込んで行くのだろう。

 公式練習開始後約二十分、Yuzuru Hanyuの名がコールされ、最後の曲かけ練習が始まった。スタート位置から正面へ向けて一歩二歩と踏み出したのち、ゆっくりと旋回しながら反時計回りにリンクを廻る。
 左サイド手前で右のエッジに乗って軽やかに離氷、4回転ループへと突入していく。多くの選手は回転しながら跳び上がるが、羽生のジャンプは跳び上がって十分な高さを得てから悠然と回り始める。高さと飛距離がともにずば抜けているからこそ生まれるこの離氷と回転開始の間の「間(ま)」が、実際には高速回転であるにもかかわらず、ゆっくりと回っているような不思議な印象を生み出す。跳ぶのではなくと飛翔しているようにさえ見えるときがある。ことに羽生が得意とするアクセルジャンプにおいてそれは顕著だ。
 しかしここでのループは大きくバランスを崩した。一瞬悔し気に眉を寄せだがそのまま滑走を続けてショートプログラムでパンクした4回転サルコウを成功させ、大技4回転トウループ&3回転半アクセルもきれいに跳び、観客とコーチから喝さいを浴びた。
 曲かけ練習が終了し、羽生は再び周回しながらいくつかのジャンプを確認。そしてリンク中央に戻り「Origin」冒頭からのスケーティングを繰り返すが、やはり最初のループが一回転に。スタート位置に戻り再び開始からの動きをなぞり、今度は4回転ループから4回転サルコウまで成功。しかしその先を続けることなく冒頭からの演技を繰り返す。何度も、何度も、何度も。
 ある時は回転が足りず、次は着地が不完全という風で、4回転ループの成功率は半々より低い。4回転ループは、現在実施されているジャンプの中で最高得点が得られる4回転ルッツよりも実は難しいと云う専門家がいる。それはエッジの先端の一点で踏み切るルッツよりエッジ全体で踏み切るループのほうが氷の状態に影響されやすく回転数が上がるにつれてより難度が高まるからだという。今回の世界選手権でも4回転ループにトライするのはおそらく羽生だけだ。常設リンクではないさいたまスーパーアリーナのこの大会用に張られた氷は異常に暖かい外気の影響を受けて軟らかいといわれていた。
 スケーターはその時その時で異なる氷の状態を読んでジャンプを調整するのだが、おとといのショートプログラムでは一部の表面が解けて水たまりができていたらしい。ループを跳びにくい氷なのだ。執拗に高難度ジャンプを繰り返す羽生を観客は息を殺して見つめている。失敗するたびにさざ波のようなどよめきが広がる。
 まだ時間が早くリンク近くに開いている席もあるから移動して間近で見てもよかったのだが、私はまるで縛り付けられたように座席から動くことができなかった。羽生が発するすさまじい緊張感にスタンド中が支配されていたと思う。公式練習終了時間が迫る。羽生はエッジを指で撫でるようにして付着した氷ををとると、何かを占うようにふわりと投げ上げ、その軌跡を目で追う。気付けば最終グループの6人のうち4人がすでに氷を上がり、残るのは羽生とネイサン・チェンの二人のみ。残り1分がコールされ、それでも羽生は4回転ループを跳びに行く。最後にややこらえ気味にではあるが成功させ、ようやく観客席とコーチに挨拶して氷から上がった時、リンクサイドに他の選手は一人もいなかった。

 反対側のフェンスが開けられ、昼過ぎから開始されるペア競技に備えて製氷作業が始まったが、羽生はなぜか二人のコーチとともにリンクサイドにとどまっている。ジャンプの入りを確認するように体を動かし、氷上に残してきた軌跡をたどるように指先をくるくると動かす。何かに納得できないのだろう。タブレットを広げて画像を見てはジャンプコーチのジスラン氏にしきりに話しかける。次々と整氷車が入ってきたが、羽生の目にはその作業も、息をつめて注視するスタンドの幾千の眼も映っていないようだ。公式練習終了後にリンクサイドに長くとどまるなど異例のことで、他の大会でも見た覚えがない。しかし、羽生はスタートからのループジャンプ、サルコウジャンプまでを確実に成功させるイメージをつかもうとしているようだった。ついにはイヤホンを取り出してつける。曲を聴きながらイメージトレーニングをしているのだろうか。

 平昌オリンピックの際は、公式練習でも余裕のある笑みさえ浮かべて、軽い練習しか見せず、周囲を煙に巻いた羽生。あの怪我では優勝は無理、金メダルはアメリカのネイサン・チェンという予想が飛び交うなかで「勝つ」と宣言し、楽しくてたまらないかのように自信たっぷりにふるまい続け、決して怪我の状態の悪さも内心の不安も悟らせることなくショートプログラムで首位発進し、そのまま2つ目のオリンピック金メダルを手に入れた。

 しかし、ショートプログラム3位と出遅れたこの世界選手権フリーでは、4回転ループを含めたすべてのエレメンツを完璧に仕上げなければ勝利は難しい。勝つためには何がなんでも最初のループジャンプを成功させるという羽生の意思が痛いほどに感じられた。闘争心が人一倍強いといわれる羽生だがここまでの姿を見せるのは珍しい。怪我や体調不良で直前練習がボロボロでも本番では驚異的な集中力で予想を覆して見せる羽生。その苛烈で予測不能なところがまた人を惹きつける。今、ここで最後の公式練習を見ている観客のほとんどはそうした羽生に夢中になって世界中から集まり、試合開始の半日も前からアリーナの堅い椅子に座って固唾を飲んでいるのだ。
 十分足らずが経過し、どうやら納得したのか羽生がイヤホンを外し、コーチとともに控室へとつながる階段を降りて行ったとき、数千人の観客がようやく呼吸することを思い出したような、なんとも言えないため息が会場に充満した。

 そして夜8時、世界フィギュア男子シングルの頂点を決めるフリーが始まった。長い午後をどうやってやり過ごしたのか、午後のペア競技も見ていたはずなのに私にはほとんど記憶がない。朝の公式練習時で3割ほど、ペア競技の間も空席があった会場が、今では天井までびっしりの観客だ。左ショートサイドのメディア席はいつの間にか数十人のスティルカメラマンで埋まっていた。
 試合は進み、最終グループの6分間練習が始まる。リンク上を動くのは6人の選手たち。しかし、カメラマンたちの長い望遠レンズは羽生一人の滑りを追いかけて、まるでダンスを踊るフラミンゴのように一斉に同じ方向に動く。ここでも羽生は公式練習と同じ冒頭の4回転ループからサルコウまでを執拗に繰り返す。今朝の公開練習からここまで、ループジャンプが安定を欠いていることは明らかだ。
 ループは6種類のジャンプの中で唯一、右足で滑走して右足で踏み切る。そしてすべてのジャンプは右足で着氷する。羽生の右足はやはり云われるよりも状態が良くないのではないか。最後はジャンプを跳ばずにループまでの軌道を確認すると羽生はさっと氷を離れ、いっさい周りを見ずに足早にリンクを後にした。二人のコーチが転がるように後を追い、それを数十本の望遠レンズとテレビカメラが追う。グループの一人目の選手が演技を開始しても、アリーナ全体の意識が演技者に戻るのに少し時間がかかったように感じられた。

 羽生は最後から3番目の滑走者として登場した。複雑な色を含んだ黒い羽を金糸で綴り合せたような衣装。両腕を伸ばし正面ジャッジ側に半ば背を向ける最初の構えは濡れ羽色に光る翼を広げて地に伏せた怪鳥さながらだ。曲は「Art on Ice」と「Magic Stradivarius」。吹きすさぶ風音とともに始動した羽生は正面へと向き直り、念を送るかのようにゆっくりと両手をかざし、おのれの支配空間へと踏み出す。
 心臓の鼓動にも聞こえる打楽器の二音にうなずくように頭をゆする。いくつものターンを入れながら次第に加速し、黒く輝く軌跡を描いてゆく姿は原始のカオスをかき回す鋭い矛先を思わせる。左サイドへと回りこんだ羽生の体は響きわたる銅鑼の音に乗り、風に持ちあげられたかのようにふわりと浮き上がる。
 悲鳴のような歓声と拍手。羽生は素晴らしい高さで4回転ループをを周りきり、フリーレッグをきれいに伸ばしてイーグルへ、次いでベスティスクワットイーグルへと流れていく。打楽器アンサンブルに弦楽器の旋律が重なり荘厳さを増す調べ。風に舞う羽のように氷上を行く羽生の衣装がキラキラと光る。
 複雑なステップから助走もなく舞い上がるサルコウジャンプ。高さはあったがわずかに着氷が乱れる。軟らかい膝で猫のようにカバーし、フライングキャメルとシットポジションを組み合わせたコンボスピンへ。
 スピンの出とともに始まるステップシークェンスはヴァイオリンソロに乗り、見えない何かを激しく追い求めるかのように速度を上げていく。振り付けではなく心のままに即興で舞っているようにさえ見えるしなやかな上半身。繰り返し差し伸べられる腕。見事なのは時計回り、反時計回りの繰り返しに複雑なステップを組み込んだ足技だ。ほとんど片足だけでターンしながら移動し、氷を蹴っているようには見えないのにいつの間にか加速していく。
 エッジのカーヴ上で巧みに体重を移動させて作り出す緩急に乗った変幻自在の動き。追いすがるように腕と上体を撓わせながら氷上を流れていくその姿は、カオスから最初に生れ出た神とも魔物ともつかない何ものかが自分以外の存在を求めてさまよっているかのようだ。
 その切なげな姿にふと亡夫光太郎がシテを務めた能「黒塚(くろづか)」の鬼女が重なった。

 旅の僧侶が奥州安達ケ原に行き暮れて、ようやく見つけたあばら家に一夜の宿を乞う。一軒家の女は粗末で泊められる部屋もないと断ろうとするが、僧侶のたっての願いに押し切られ承諾する。女は実は旅人を喰う鬼であったが、その身を恥じる気持ちと菩提心ぼだいしんから僧侶にせめてものもてなしをしようと夜寒をしのぐ薪を取りに家を出る。
 その隙に女の閨(ねや)を覗いた僧侶は折り重なる死体の山に女の正体を察して逃げ出す。秘密を暴かれたことに気づいた鬼女の怒り、悲しみ、羞恥。光太郎の鬼女は閨の内を隠そうとするように肘を幽かに張り、袖で広げ、僧侶どもの逃げ去った方角をねめつける。
 累々と重なる亡骸の山を見られたからには既におのれのあさましい正体は暴露されている。それでも袖を広げて閨の内に見える地獄絵図を隠そうとする切ない仕草。一瞬の袖の動きに顕れるのは裏切られた悔しさ、人を喰い殺して生きるあさましい業への憎悪、鬼であることの哀しさ。憤怒は嵐を呼び、雷鳴とどろく中、やつした老女の姿から、銀の摺箔の小袖に色無縫箔を重ねた豪奢な装束に変わり、身も心も本来の鬼へと立ち戻ったシテ。
 般若へと変化した鬼女は金色の角と眼を光らせ打杖を振りかざして憎い僧侶を追っていく。僧侶を追って、追って、追い詰めようとする足元の動きと、打ち殺そうとして振り下ろす打杖の動きにはわずかな時間差がつけられる。踏み込む動きに一息遅れて打ち下ろされる打杖。そのわずかな間(ま)が短い橋掛かりの上に果てもない荒涼とした原野を出現させる。猛追する激しい動きでありながら巧みな足運びによって上半身は橋掛かりの上を浮遊するよう動き、鬼女の頭はいっさい揺らがない。
 あさましいはずの鬼が見せる神のような姿こそがこの曲の真骨頂だ。鬼が美しいからこそ僧侶に祈り伏せられて消えていくその哀れさが観客の心に刺さるのだから。

 何かを追い求め、手繰り寄せようとするかのような羽生のステップシークェンスもまた足元は複雑なステップを踏んでいるのに上体には全く縦揺れが伝わらない。それが上半身のしなやかな躍動を際立たせて、神か、獣けものか、まるで人ならざるものに見える。
 「Origin」を舞う羽生の動きはフィギュアスケートの世界のスタンダードとなってきた決めポーズがびしりと決まるキレの良い西洋的な姿勢とは違う。さざ波が重なるようにひそひそとした動きでありながらどこを切り取っても美しく、なんとも言えない不思議な律動、序破急があるのだ。
 嫋嫋と波紋のように空中に放たれる律動は音楽や観客のどよめきをからめとり、共鳴し、膨張し、止めどなく広がってアリーナの大空間に充満する。羽生の颯々として典雅な動きは能のクライマックスで晴れやか舞われる早舞のようだ。自在にリズムを変えながら気づかないうちに加速していくスケーティングは見る者の視線を吸い寄せ、意識を浸食し、思考を停止させ、忘我の高みへと向かわせる。アリーナを埋め尽くした18000人はその人ならざる者のような滑りに完全に支配されていた。
 
 3回転ループ、4回転トウループをステップの一部のように見せる完璧なジャンプ。そして今季の試合で初披露した羽生だけが持つ大技、4回転トウループ&3回転半アクセルをなめらかにに着氷したとき、歓声は地鳴りとなってアリーナを揺るがした。
 ハイテンポへと転じた曲に乗って3回転フリップ&3回転トウループのコンビネーションがお手本のように決まる。吹きすさぶ風を思わせる孤独なヴァイオリンの音色はまるで羽生の体から響いているようだ。
 ふたたび緩やかに変化した調べに完璧に同期して豪快かつ優雅に飛翔する3回転半アクセル&オイラー&3回転サルコウ。ニジンスキー、そしてプルシェンコへとつながる「薔薇の精」の象徴的な動きを織り込んだレイバックイナバウアーで会場を沸騰させた羽生は、ハイドロブレーディングから最後のスピンへ向かう。
 デスドロップから複雑な手の動きを付けたシットポジション。続いてフライングキャメルからチェンジエッジ、バタフライでフットチェンジ。右足にのったシットポジションから立ち上がり、伸ばした左足に上体を伏せるイレギュラーな高難度ポジションを経て弓なりの美しいアップライトへ。
 回転軸が細く絞られてゆくにつれヴァイオリンは急調子へと転じ、耳を聾する歓声と手拍子が巨大な渦となってアリーナ全体を揺るがす。リンク中央に突き刺さる羽生のスクラッチスピンに向かってすべてが吸い込まれていくようだ。高速回転が黒と金の垂直ラインと化した次の一瞬、羽生は身をひるがえし、右ひざをついて左腕を高く差し伸べ空を仰いだ。まるでこの地を支配するのは自分だと天に向かって宣言するかのように。
 アリーナの屋根が吹き飛びそうな大歓声が爆発し、黄色いクマのぬいぐるみと花束が滝のように投げ込まれる。
 私も叫んでいたと思うが自分の声さえ聞こえない。これほどの熱狂はフィギュアスケート史上はもちろん、冬季スポーツ全体を通しても類を見ないのではないか。ここで、まったく知らない人にこれは宗教で羽生はその神なのだと説明したら信じただろう。

 しかし、オペラグラスを最大倍率にしてみたフィニッシュの瞬間、羽生は神というよりも魔物の顔をしていた。勝利に飢えた眼差しの強さ、それは目に金が施された鬼神の面(おもて)を連想させた。
 般若などの能面の黒目の部分は視界を確保するため四角く抜かれ、白目に当たる部分には金泥(きんでい)が塗られている。これは神や鬼や妖(あやかし)の面に用いられる表現で、よく知られているのは「泥眼(でいがん)」の面\だ。もともとは女性が成仏した菩薩などの役を表すものだが、その妖気を孕はらんだ美しさゆえに「葵上(あおいのうえ)」の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)など、妄執から生霊に変化したシテに用いられている。能舞台の薄闇に光る金色の眼はいかにも妖艶だが、リンクの中央で腕を突き上げ、天を睨んだ羽生の眼には煌々と輝くライトにも勝る勝利への激情があった。今季最後の試合にすべてを出し切った勝負の「鬼」の姿を見たと思った。

 羽生のもう一つの凄みは芸域の広さだ。「Origin」は荒ぶる神のような威厳があるが、昨シーズンまでのエキシビションナンバー「Notte Stellata(The Swan)」では女子以上に優美な白鳥になりきって見せた。能には神(しん)、男(なん)、女(にょ)、狂(きょう)、鬼(き)の五つの分類がある。
 「神」は脇能(わきのう)、神能(かみのう)のことで「高砂(たかさご)」「西王母(せいおうぼ)」など神々しく舞う神をシテとするもの。
 「男」はシテが男で「箙(えびら)」「八島(やしま)」「経正(つねまさ)」など生前の雄姿と死後に修羅道に落ちた苦しみを対比させて描くところから「修羅物(しゅらもの)」とも呼ばれる。
 「女」は「井筒(いづつ)」「野々宮(ののみや)」「羽衣(はごろも)」など優美な女性がシテの「鬘物(かづらもの)」。
 「狂」は様々なほかに分類されない性質の能を含むが「葵上(あおいのうえ)」「隅田川(すみだがわ)」などの狂女物(きょうじょもの)がよく知られているところから「狂物(くるいもの)」と呼ぶ。
 「鬼」は「船弁慶(ふなべんけい)」「嵐山(あらしやま)」「土蜘蛛(つちぐも)」などアクションの多い華やかな演目で、多くは鬼がシテであり五番立の最後に演じられることから「切能(きりのう)」という。
 能がほかの多くの演劇と異なるのは役者に主役を務めるシテ方と脇役を務めるワキ方の分類しかなく、シテ方は年齢性別を超えて羽衣の天女も鵺(ぬえ)の妖怪も演じることだ。

 羽生には役者も顔負けの演技力が備わっている。能に例えるなら久石 譲の Asian Dream Songで世界最高得点を記録した「Hope and Legacy」は「神」、Princeの名曲でニューヨークタイムズの一面を飾った「Let's Go Crazy」は「男」、「Notte Stellata(The Swan)」は「女」だろうか。2012年ニース世界選手権の「Romeo + Juliet」で見せた狂恋の演技は「狂」の極みである。能役者は装束、面(おもて)の力を借りて役に変化(へんげ)する。衣装の力もあるだろうけれど、羽生の、顔立ちまで変わって見えるほどの憑依系の表現には感嘆してしまう。アスリートであると同時に役者であり表現者として稀有の才能の持ち主であると思う。
 
 「黒塚」の演能後、しばらくして光太郎は突然、シテを降りると宣言した。仕舞や後見は務めるがシテはもうやらないというのだ。「黒塚」は数年間入退院を繰り返したあとの復活の舞台だった。完治が難しいことはわかっていたが「黒塚」には怖ろしくも哀れな鬼女の心情に見る者の心を寄り添わせる凶々しいまでの美しさがあり、光太郎の舞台の中でも出色の出来栄えと思えた。
 光太郎の舞台はいくつ見たかわからない。シテ方の家に生まれ、シテになるべく育てられ、五歳で初舞台を踏み、神童といわれるほど才能があった。「龍田(たつた)」、「羽衣」、などの神々しい天女も美しいが、「通小町(かよいこまち)」、「鵺(ぬえ)」、「道成寺(どうじょうじ)」といった妄執の鬼や化生(けしょう)が不思議と似合った。このとき既に闘病生活は十年を越えていた。
 ようやく医師に緩解を告げられ、満を持して臨んだ「黒塚」の鬼気迫る姿は、地獄をめぐっての帰還が与えた新境地とも見えた。長ければ2時間以上にわたり謡い、舞う能のシテは見た目以上にハードである。装束の形を整えるために下に重ねる綿入れの下着は舞台が終わると絞らなくても滴るほど大量の汗で重くなる。病み上がりの身で、弟子の稽古、地方回りもしながらの舞台は辛い。しかし、シテを退くという光太郎に対し、
「年に2回か3回、流儀の本舞台だけ務めて、ほかは全部やめればいいじゃない」
と私は迫った。
 弟子に稽古ーをつけるのは収入源だが私の働きもあるしどうにでもなる。稽古をすべてやめて療養すれば年に3日、本当に大事な舞台だけを務めることができるだろう。
 当時私はバブリーなITベンチャーで企画開発部長をしていて、安定した職場とは云い難いがどう転んでもなんとかできるという謂れのない自信があった。長女が生まれた日も、母親が大腸癌の手術を受ける日も、当然のように演能を優先した光太郎が、舞台を諦められるわけがない。
 家族や生活の心配をし、体を労わって長生きしなければと思っているのなら、そんな似合わないことはしてもらわなくていい。
「本舞台だけ務めてくれればいい。生活は私がどうにでもするから」
 私は言いつのった。
「そういうことじゃない。思うように舞えないからもうやらない」
 あっさりと光太郎はいった。

 私には完璧以上に見えた「黒塚」は光太郎にとっては納得のいかないものだった。
 見る者にはわからない衰えを感じていたのだろうか。主役を演じるために生まれ、舞台の上で死にたいに違いないはずの男が、みっともないところを見せるぐらいなら死んだほうがましだという。
 私には返す言葉がなかった。


 この、2019年の世界選手権は羽生の次に滑ったネイサン・チェンがほぼ完ぺきな4回転ジャンプを5本そろえて首位を守った。銀メダルに終わった羽生は直後の会見で勝者をたたえると同時にリベンジを誓い、その方策として怪我で封印した4回転ルッツの復活、さらに未だかつて誰も成功させたことがないの最高難度ジャンプ4回転半アクセルの実現を口にした。
 回復しきっていない右足が心配だが、常識や予測が意味をなさないのが羽生結弦だ。「やる」と口に出したからには凡百の考えの斜め遥か上を行く何かを見せてくれるだろう。
 猛々しいほどの若さが眩しい。
 春の盛りにふさわしく、咲き誇る桜のような「春よ 来い」をエキシビションで舞って羽生結弦の2108-2109シーズンは終わった。


 今年も光太郎の逝った青葉の季節が巡ってくる。
ハラハラさせてくれる人のいない、気の抜けたシャンパンみたいな歳月が流れていく。

「成仏する」といい「鬼籍に入る」ともいう。あの人は今、どこにいるのだろう。

  
   2019年4月  光太郎八回忌を前に記す


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