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アンディ・ウォーホルを撃った女、「I SHOT ANDY WARHOL 」からのビキニ・キル、ホール(コートニー・ラヴ)。

1985年、ポップ・アートの旗手アンディ・ウォーホルはイギリスの雑誌「フェイス」のインタビューで「あなたが亡くなったら作品はどうなるのでしょう?」とたずねられた。

ウォーホルは「ぼくはもうとっくに死んでいるよ」と答えた。

1987年2月22日、ウォーホルは短期間入院するつもりだったニューヨークの病院で1968年6月3日にヴァレリー・ソラナスが、‶しくじったこと〟を達成した。
享年、58歳。

ヴァレリー・ソラナスは、その1年後、肺炎により52歳で死去。

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『 知ってた

あたしの誕生日、

2月22日、猫の日生まれ

知ってた

否定と肯定

世に顧みられない才能も、いつか詩になることを、

儚くて、狂おしくて

痛く哀しいだけ

そんな生涯だって、それも、詩、。 』

       涼、。

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1996年公開の映画「I SHOT ANDY WARHOL アンディ・ウォーホルを撃った女」
リリ・テイラーが演じてた女性のこと。
1968年6月3日、アンディ・ウォーホルを銃撃し瀕死の重傷を負わせた女性、ヴァレリー・ソラナスを主人公にした作品。
自作のシナリオをウォーホルにプロデュースしてもらうことを願ってた。
頭脳明晰でも、協調性がなく、自己顕示欲の強いレズビアン。
現代社会がおかしいのはなにもかも男たちのせいだ、と訴えている50ページほどの書。
ヴァレリー・ソラナス「SCUM(スカム)マニフェスト」
その文章のひとつに、なにを感じるか、。

‶現代社会における生活は、いかにひいき目に見ようと、退屈極まりないものであり、現代社会のどんな側面をとっても、まったく女には適合しないものばかりで、進歩的で責任感のある勇猛果敢な女たちには、政府を転覆し、金融システムを壊滅し、機械化を確立し、男どもを破壊する道しか残されていない〟

切ない、痛み。

1936年に生まれたヴァレリーは13歳で祖父母に預けられるまでの間、ほぼ毎日のように継父から性的虐待を受けていたって、。
それで祖父母の元に預けられたところで、壊れた心のまま、。
2年後には家を飛び出しホームレス生活を送りつつ売春などで日銭を稼ぎ学校に通った。
成績は優秀だったようだけど、。
まだ時代は1950年代後半で保守的な雰囲気があるなか、珍しく同性愛を公言していた女性。
ミネソタ大学在籍中から「SCUM(スカム)マニフェスト」は執筆されていた感じだ。
その後生活が苦しくなった彼女は大学を中退し、またホームレス生活に戻った。

売春で日銭を稼ぎ、小説を書いて男への憎悪をたぎらせるだけの悲痛な日々。
性的虐待の記憶と繰り返すしかない売春、。
世の中への憎悪、とりわけ男性への怒りが熟成されていく、。
そうして彼女は一人で、「男性撲滅協会」といった過激思想の組織を立ち上げる。
その思想は「SCUM(スカム)マニフェスト」として出版されることになる。
英語版のウィキペディアには詳細な解説が書いてある。
ネットを探せば全文を読める。その思想は超過激なフェミニズム。
「男性を皆殺しにして女性だけで生殖できる国家を作ろう」
一部の女の味方をするものと同性愛者以外、男どもは皆殺しというわけ。

SCUMマニフェストは「いい子ちゃん」でいることを求めるリベラルなフェミニズムを拒否できる強い主張と評価されたりもしているらしい、。

フェニミズム(女性解放思想、この思想に基づく社会運動の総称)。
性差別に影響されず平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動。

評論家のB・ルビー・リッチヴァレリーをフェニミズムのジャンヌ・ダルクだと述べたらしい、。

動画↓。映画「I Shot Andy Warhol Trailer (1996)」

物語としては犯行にいたるまでのヴァレリーの軌跡が描かれているわけだけど、。
背景にあるこの時期のウォーホルの活動で、ファクトリーと呼ばれた彼のスタジオとそこに出入りしていた人物たちの描写もこの映画のひとつの魅力であるとか、。

動画↓。The Velvet Underground & Nico 「I'll Be Your Mirror (Warhol film footage)」

ヴェルベット・アンダーグラウンド&ニコのファーストアルバムは、バナナのジャケットで有名な
ウォーホルのプロデュース作。

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ウォーホルは他者を触発する不思議な能力をもっていたらしい。
仕事場兼オフィスは幾度か移転を繰り返すけれど、‶ファクトリー〟という名称は彼の死まで使われつづけたそうだ。
大都市、NYで生み出される才能(奇才も、)を貪欲に受け入れたファクトリー。

ヴァレリーは自身を体制の変革目指す革命家と想定していた。
男性中心の現在の社会は誤りであると、男性を排除したうえで根本からつくりなおさなければならないって、。
ギリギリいい意味でとらえると見慣れたものを否定し、新しいものへと意欲をそそぐ気質といったものかも、。

ウォーホルは社会思想に対しては無関心、ファクトリーも終始一貫して資本主義に忠実だった感じ。
ウォーホルの最大の関心は資本主義システムのなかで、いかにして自らのアートを流通させられるかという点にあったみたい。
世界をそのまま受け入れ、すべてを肯定すること。

否定と肯定。

そんな思想的な背景は抜きにしても、。

ヴァレリーウォーホルを銃撃した動機は「シナリオのアイデアを盗まれた」、⁉、という被害妄想でしかない恨みにあったにしても、。

ファクトリーで有名な女性たちは、鑑賞させ、魅せる‶商品〟としての資質のある女性ばかりっだったから、、
その資質に関しては欠けてる彼女はクリエイターとしてファクトリーに受け入れられることを望んでいたってこと、。

切ない、痛み。

「彼はわたしの人生を支配しすぎた」と逮捕後に語ったヴァレリー

ウォーホルは愛も憎しみも、銃弾もそのまま受け入れ、すべてを肯定することとなった。

その活動も、
アートからビジネスに。
1987年2月22日、ウォーホル永眠。

その1年後、劣悪な生活環境はまったく変わっていなかったヴァレリーは肺炎により死去。

「I Shot Andy Warhol」の映画画像にビキニ・キルの楽曲「Rebel Girl」があっている動画をみつけた。
動画↓。BIKINI KILL「 Rebel Girl (I Shot Andy Warhol)」

ビキニ・キル (Bikini Kill) は、1990年10月にアメリカ合衆国ワシントン州オリンピアで結成されたパンク・ロック・バンド。

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ボーカルのキャスリーン・ハンナ、ギタリストのビリー・カレン、ベーシストのキャシー・ウィルコックス、ドラマーのトビ・ヴェイル
トビ・ヴェイルニルヴァーナのリードボーカル、ギタリストだった故カート・コバーンのもと恋人。
このバンドは、ライオット・ガール (Riot grrrl) 運動の先駆者であったと広く認識されている。
ラディカル・フェミニズム的な歌詞や燃え立つような演奏で知られるその音楽は、独特の耳障りなものであり、ハードコア・パンクの影響を受けているって、。
2枚のフル・アルバム、数枚のEP、2枚のコンピレーションを残し、バンドは1997年に解散した。

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2019年には、ツアーを行なうために、バンドが再結成されてる、。

ホールコートニー・ラヴ(故カート・コバーンの妻、)は再結成を発表したビキニ・キルについて批判していたけど、。

動画↓。Hole 「 Doll Parts」





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