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ぜんぶあること。

怒ってる。

世の中は、キラキラして素敵で柔らかくて美しいものだけでできてるわけじゃない。
なのに、ほんわかと温かく柔らかく見守ることを、時に世界はありのままである、という。
忘れたのか?わたしたちは生まれたとき、血まみれになって生まれてきたこと。
どろどろの羊水と母親の血にまみれて生まれてきたじゃないか。
決して、きらめく綿雲に包まれたり、ましてやコウノトリに運ばれてなんか来てない。
忘れたのか?産後3か月は鏡もろくに見れず、寝食惜しんで子に乳をあげたり乳を作ったりしていたことを。
決して聖母マリアのように神聖なことばかりじゃなかったはずだ。

なのに。
優しく包む真綿のような優しさや
あたたかく見守る眼差し、
キラキラと光輝くこと、
ゆったりと心地よい旋律のように流れる時間が、
それだけがあたかも、わたしたちのありのままのように
宣伝してくるこの世の中、なに?

どろどろの感情や
とげとげの嫉妬や
痛いほどの憎しみ、どうにもならない絶望、
喜びや悦びと同じように
この世にありふれている強い影が、
ありのままを体現してはいけないかのように蓋をされている。

と、感じるのはわたしだけ??

だから、怒ってる。
無視されているわたしの絶望や悲しみ、無力感、やるせなさ、
存在しているのに、
ありのままであることさえ許されない。

ありのままの体現の先には
優しく柔らかくあたたかいものがある、
とつきつけてくる。

くそくらえ。
クソ食らえ。
そんなものクソ食らえ。

無視し続けるなら、
わたしはずっと怒っててやる。
可哀想な忘れられた感情たちのために、
ずっと嫌な役をやってやろうじゃないの。

わたしはそんなの気にしない。
だって、あるのに無視し続けてることの方がよほど不健康だもの。
わたしは気にしない。
どんとこいネガティブな感情。
ポジティブだってネガティブだってどんとぶつかってこい。ぜんぶ受け止めてやる。
ぜーんぶ、ここで受け止めてやる。

そう、それが私の愛。

ぜんぶがある。
それが愛だろ。

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