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環境を変えても変われない。

4月から小学校2年生の息子、3歳の娘と種子島に離島留学に来ています。
(※離島留学については、こちら

同居していた父が亡くなり、
家族のバランスがなんとなく崩れていたこと、
私自身がキャリアや子供との関わり方に新たな視点を持ちたかったこと、
そしてもちろん、入学早々にして臨時休校になった息子に
学校や勉強って楽しいってのびのび感じて欲しかったからこそ、
環境を変える決断をした。

しかし、実際に来てみるとどうだろう?

親子というユニットで環境を変えたからだろうか、
結局、「早く学校の支度しなさい!」「宿題やったの?」って怒鳴ったり、
土日に何の予定もないのが不安で、
今日は〇〇のアイスクリーム屋さん、
明日は××公園と予定を入れてしまう。

人との付き合い方や、自分のスタンスにしても同様だ。

結局、他人からいい人(≒役に立つ人)って思われたいから、
ちょっと詰め詰めの予定でもOKしてしまったり、
しんどい時に助けてって言えなかったり、
子守をお願いすることに対して、遠慮や申し訳なさがある。

それは、もう東京で幾度となくみてきたパターンだから、
それを超えたくて来たんじゃないか、って思えば思うほど、
それをいなせない自分を責めて、
責めるのもなんか違うと思うから、
そう思っていること自体を放棄にしている。

キャリアや仕事にしても、同様だ。

みんなから羨ましがられる、あるいは、
ヨシとされている職業に就こうとする。
でも、それがやりたかったわけじゃないのも分かっているから、
それをやる意味を言い訳がましく考えたり、
考えたくないから、掃除とか家事とか、他の予定で時間を埋めたりする。

先日、そんなようなことを元々の友人に話したところ、
こんな会話になった。

友人「(今までの自分が)全く選ばないようなものを選んでみたら?」
私 「確かに。でも、自分が選ばなさそうなことって
   自分の中からは生まれてこないよね?
   結局、『こういう選択肢があります』って考えているのも
   同じ私なわけで・・・」
友人「うーん、じゃどうしよう?
   逆に、好きなことだけやるって方向になってるってこと?」
 「そうそう!実はそっち方向なんじゃないかと。
   結局好きなことも始めてなかったりするからさー。」
友人「ただ、そうなった時、同じパターン、
   例えば、人から変な目で見られた時とか、がやってくるから、
   その時にどう対応するか考えておいた方がいいよね。」
 「・・・あ〜そうねー。。。。
   私の場合、言い出したら引っ込みつかなくなって
   自分の首を絞めるってパターンもあるから、
   やりたくなくなったら、手放すって方法もアリかも。」
友人「あ〜、その場の機微にしたがって動くってことね?」
 「そうそう。」

結局、”考えるな、感じろ!”みたいな話になった。

40年近く生きているし、社会人経験もそれなりにあるし、
さらに、思考で成功体験を勝ち得てきた私(たち)にとって、
感じたままに動くということは相当怖い。
しかも、困ったことに、”恐れ”の先に得たいものがあるのを、
頭(思考)で知っているからこそ、
”恐れ”に向かって果敢にチャレンジしたりする。

一見、進んでいるようにも見えるが、
頭を働かせて思考で作り出した”恐れ”は、当然に虚構で、
その克服のために費やす行為は、ただの暇つぶしで茶番なのだ。

環境を変えたとしても、思考で培ってきた成功体験を
別の思考で作り出した成功体験で上塗りしても意味がない。
むしろ、同じような体験がまたやってくるだけだ。

『今、お前は、何を感じているのか。』

明日の予定ではなく、今ここにいる自分。
そこから始める。



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