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観光列車あめつち運行5周年記念!兵庫県初乗入れ!城崎温泉から鳥取への特別運行

JR西日本の観光列車「あめつち」が、2023 年 7 月 1 日に 5 周年を迎えるにあたり、この度、山陰本線鳥取以東(鳥取⇔城崎温泉間)、因美線(鳥取⇔津山間)を特別運行した。

山陰本線鳥取以東(鳥取⇔城崎温泉間)は初運行で、因美線(鳥取⇔津山間)は昨年に続き 2 年目の運行で、津山線の観光列車「SAKU 美 SAKU 楽(さくびさくら)」(津山⇔岡山間)と乗り継ぐことができる旅行商品等も設定された(団体専用列車)。

今回は城崎温泉から鳥取へ向けて乗車した。

駅名標
温泉の玄関口

列車名の由来

2018年に運行を開始し、土日祝を中心に鳥取と出雲市駅間を往復している。列車名のあめつちは、漢字で「天」と「地」と書き、山陰地方を舞台にした神話が多く描かれている古事記の「天地(あめつち)の初発(はじめ)のとき」という書き出しに由来している。

車体側面ロゴマーク

旅の始まりは城崎温泉から

大阪から特急こうのとり3号に乗車し、終点の城崎温泉で下車する。
団体専用列車「あめつち」は1番乗り場にすでに停車していたが、車内準備のためまだ乗車はできず、出発5分前に乗車できるとの案内があった。

団体専用臨時列車。今回乗車した「あめつち」である。
キハ47形

山陰海岸ジオパークと日本海の絶景

城崎温泉駅12:22定刻に出発した。
「あめつち」は香住、余部、浜坂、東浜、岩美の順に停車する。
最初の通過駅の竹野まで約7㎞。城崎温泉は円山川河口から㎞あり、内陸に位置している。大小のトンネルを抜け、最初の絶景が日本海である。この先山陰本線は切り立った断崖沿いを走行していく。

夏空と日本海

山陰海岸ジオパークと呼ばれ、科学的に見て特別に重要で貴重な、あるいは美しい地質遺産を含む一種の自然公園である。地質や地形は、地球の歴史を物語っているだけでなく、人の暮らしや文化に直接結びついています。この大地の営みをひとつの遺産として学び、楽しむのがジオパークである。

ヨーロッパの各国、中国、日本など世界各地のジオパークが加盟する世界ジオパークネットワーク(GGN:Global Geoparks Network)は、2004年にユネスコの支援により設立されました。山陰海岸ジオパークは2010年10月にGGNに加盟認定、2014年9月にはエリアを拡大して再認定されている。
その後、2019年2月には2度目となる再認定を受けた。

山陰海岸ジオパークは、京都府(京丹後市)、兵庫県(豊岡市・香美町・新温泉町)、鳥取県(岩美町・鳥取市)にまたがる広大なエリアを有しており、山陰海岸国立公園を中心に、京丹後市の東端から鳥取市の西端まで、東西約120km、面積は2458.44㎢で、東京都よりひとまわり大きい広さになります。

日本海形成から現在に至る様々な地質が存在し、それらを背景とした生き物や人々の暮らし、文化・歴史に触れることができる地域です。

山陰海岸ジオパークの最大の特徴は、日本列島が大陸の一部だった時代から日本海形成に関わる火成岩類や地層、海水準や地殻の変動によって形成されたリアス海岸や砂丘をはじめとする多彩な海岸地形など、貴重な地形・地質遺産を数多く観察できることです。

ジオパークのエリア内は、古くから人々の生活の場となっていて、多彩な自然を背景とした人々の文化・歴史を学ぶこともできます。山陰海岸ジオパークでは、このような特徴を活かし、地域のジオツーリズムを通じた自然遺産の保全と地域活性化につながる活動を展開しています。

https://sanin-geo.jp/know/geopark02

車内の様子

2号車。この日は海側の座席(写真左側)に着席した。
ランチョンマット
記念弁当。のし付き。
山陰日本海の海・山の幸で構成されている。お酒の肴にも丁度良さそうだ。

香住駅

最初の停車駅・香住には12:52に到着した。
約10分の停車時間が設けられた。

駅名標
香住といえば、松葉ガニの水揚げ地としても知られる。

余部駅 

鎧駅を通過し、短小のトンネルをいくつか抜けた先で余部橋梁を渡る。
13:11に餘部駅に到着した。この区間の最大の見どころではあるが、停車時間はわずか2分。とりあえずホームに降り立ち、最低限の写真撮影を行い、列車に戻った。欲を言えば、5分は欲しかったが、ダイヤ上やむを得なかったのだろう。

余部橋梁の歴史に触れておきたい。
山陰本線が全通したのは、明治45年3月のことであるが、最後の開通区間に余部鉄橋が含まれている。余部鉄橋は平成22年のコンクリート橋梁架け替えまでの名称で、現在は余部橋梁と呼ばれる。

明治42年に着工し、橋脚はアメリカから輸入された鋼材を利用している。機械力の乏しい当時、前近代的工法の中にあって当時最高の技術を駆使し延べ25万人を投入し建設された。完成当時は駅もなく、不便な生活を強いられていたが、昭和30年ごろには余部の人々の強い願いにより、駅設置が決まった。駅建設にあたっては、子供と大人が力を合わせ、海岸から玉石を運び上げて駅までの道のりやホームを作り上げ、昭和34年に餘部駅が開業した。

余部鉄橋は日本海からの強い季節風にたびたび悩まされ、特に冬季には強風による列車の遅延、運休が日常茶飯事であった。

また、余部鉄橋で忘れてはならないのが1986年12月28日発生した列車転落事故である。事故の概要は次のとおりであった。

暮れもおしつまった12月28日、福知山線谷川駅を始発とする「山陰お買い物ツアー」の臨時列車は、掘りごたつやカラオケの備えたお座敷列車「みやび」の団体用客車7両で編成されていた。正月用の海産物をどっさり買った176名の団体乗客は香住駅で下車し、この列車は回送列車として浜坂行き下り電車となって、余部鉄橋に向っていた。
 余部鉄橋では、25m/s以上の風速で運転中止することになっていた。鉄橋中央の両側に自動風速発信器(一種の風速計)があり、これが限界風速を越えると福知山鉄道管理局列車集中指令装置(CTC)指令室の赤ランプが点灯し警報が鳴る。これを聞いた列車指令員が鉄橋の両端に設置された「特殊信号発光機」(五角形で五つ目の赤灯のある信号で赤いランプが回って危険を知らせる信号機)を遠隔操作することによって、列車をとめるという安全システムを具備していた。余部鉄橋西寄りには余部駅があるが、CTCの完成後、無人駅となっていた。
 13時10分頃、CTC指令室に風速25m/sを示す表示灯が点灯し、警報が鳴った。指令室では現場の風速が不明であるため、余部鉄橋の風速が表示されている香住駅に問い合わせたところ、風速は20m/s前後で異常なしとの回答を得た。その時間に列車がなかったこともあり、指令員は様子を見ることにした。
 13時25分頃再び警報が鳴り、再度香住駅に問い合わせたところ、瞬間で25m/s、今は20m/s前後との返事だった。回送列車は鎧駅通過後2分経過しており、すでに余部鉄橋にさしかかっているため、列車を止める手動制御テコを操作しても間に合わないと判断して、テコを操作しなかった。
 また、列車指令員は他の列車の故障に気を取られ、回送列車抑止の手配を取らなかったともいわれている。
 回送列車の運転をしていた機関士は、鉄橋の東側の警報機が点灯していないことを確認し、余部鉄橋に進入、風がきついため普段の60km/hから48km/hに減速して走行した。鉄橋のほぼ中央付近で、冬の季節風としては観測史上4番目という、最大風速33m/sの突風を受け、編成中央付近の客車(両端の客車は電源付きで若干重い)からまず転落をはじめ、7両の客車全てが台車の一部を除き南側に転落した。機関車は非常に重いため転落を免れたが、客車の転落によりブレーキ引き通し空気管が切れ、非常制動がかかった(フェイルセーフとなっている)。機関士が後方を確認したところ、牽引してきた客車がなくなっていた。
 事故に至った最大の原因は、列車運行体制のずさんさであった。運転規則では、風速25m/s以上になって警報が鳴ったときには、列車指令員は列車を止めることになっていた。それにもかかわらず、列車を抑止する行動を取らなかった。それは、警報が鳴ったとき、まず香住駅に風の状態を問い合わせるのが慣例になっていたからである。それは、風速計のうち1台が故障し、もう1台も実際より低い数値を表示するなど、不備があったことなどの要因があろう。この慣例のため、列車抑止は問い合わせ時間分だけ遅れるという状態になってしまった。

https://www.shippai.org/fkd/cf/CA0000606.html

この事故により、客車が鉄橋から40メートル直下のカニ缶詰加工工場を直撃し、車掌と従業員6人が死亡、6人が負傷した。国鉄の事故調査報告書によると、鉄橋上では風速33メートルを超える突風が吹いたとされる。風速25メートル以上になれば列車を停止させる規定を守らなかったなどとして、国鉄の指令員3人が1993年に有罪判決を受けた。

事故後、鉄橋には風速計と信号機を接続して警報を自動化するとともに、強風時の運転中止の目安を25m/sから20m/sに引下げ、鉄橋上に風防が取り付けられた。

列車運行の安全性向上と定時性確保のため、平成3年から専門家らによる調査検討が行われ、様々な技術的検討がなされた結果、防風壁を備えたコンクリート製の新橋梁に架け替えを行うこととなった。
新橋梁は、これまでの余部鉄橋のイメージ「直線で構成されたシンプルな美しさ」と「風景に溶け込む透明感」を継承する橋をデザインコンセプトととしし、耐風性に優れたコンクリートが採用されている。防風壁には透明のアクリル製を採用し、風速30m/sでの列車運行が可能となり、列車運行の安全性と定時性の確保に大きく寄与している。

なお、旧鉄橋は餘部駅側の3本の橋脚が現地保存され、余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わっている。橋梁下には公園も併設されている。

余部橋梁から見える日本海の絶景
餘部駅ホームから橋梁を望む。
駅ホームからも日本海が望める
駅名標

浜坂駅

兵庫県最後の停車駅・浜坂には13:29に到着した。
14:09まで約40分間の停車である。
列車の撮影と改札外に出ることが許可されたので、駅周辺を散策することにした。

駅ロータリすぐのところに新温泉町まち歩き案内所「松籟庵」がある。
浜坂駅前を中心とした新温泉町の賑わい創出のため、100年前に浜坂駅開業とあわせて建築された店舗を活用して整備された。駅利用者などへの観光案内を行うほか、地域コミュニティの活性化のための活動拠点となる施設である。

名前の由来となった「松籟(しょうらい)」は、松の梢に吹く風という意味があり、新温泉町の浜坂海岸には日本の白砂青松100選にも選ばれた浜坂県民サンビーチ「松の庭」がある。
松の庭には日本海から吹き寄せる風が松の梢にあたり、様々な音をきかせてくれる。まちづくり案内所からまちづくりのさまざまな風を吹かせ、街を活性化させたいという願いが込められている。案内所には、観光案内や休憩スペースが設けられている。

浜坂駅は明治44年11月に開業している。
当時は鳥取県の岩美駅から浜坂駅までが鉄路でつながっており、山陰西線と呼ばれていた。城崎方面へは岩美(浦富海岸)から津居山まで船舶輸送で移動しなければならなかった。翌明治45年に余部鉄橋の完成により、山陰東線とつながり、京都から一本のレールでつながる歴史をたどっている。
浜坂駅は山陰本線全通後も山陰と近畿の中継地点として、給水塔や転車台、石炭置場が設けられていた。
現在はローカル列車と1日数本の特急はまかぜが発着するのんびりとした駅へと変貌している。

一般列車との並び①
一般列車との並び②
角度を変えると、オレンジと赤が映えている。
駅舎
浜坂は湯村温泉の玄関口に当たる。
湯が沸き出ている?
足湯もある
4灯式信号機で化粧室の空き状況を知らせるユニークな試み
信号機と化粧室の空き状況の説明

東浜駅

浜坂を出発すると、諸寄、居組と連続通過した後、陸上(くがみ)トンネルを抜けると鳥取県に入った。鳥取県最初の駅が東浜である。14:23に到着した。約20分停車した。

東浜駅は1950年に開業している。駅開設後は東浜の利便性が大きく向上し、主に京阪神・山陽地方からやってくる臨海学校の子供らで賑わうようになった。このために最盛期には60軒に及ぶ民宿が建ち並び、バーやパチンコ店なども営業していたが、モータリゼーションの進展により駅は寂れ、1972年に無人化された。

JR西日本が2017年6月から運転を開始したクルーズトレイン「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」では、「世界ジオパーク認定の浦富海岸の眺望と地引網の実演」を対象として、東浜駅が立ち寄り観光駅になった。
この「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の立ち寄りに合わせて、車両の監修も行った浦一也に依頼して、駅舎の改築工事が実施された。ステンレス鏡面仕上げの天井や待合室の全面透明ガラス窓を特徴とし、周りの風景に溶け込む事を狙った。また、合わせて駅前広場やトイレの整備も実施した。また、近くの旧保育所施設を、レストラン「AL MARE」(アル・マーレ、イタリア語で海辺の意)に改修した。2017年4月12日に新駅舎の完成記念式典が挙行された。

駅名標
トワイライトエクスプレス瑞風の停車駅となったことで駅舎を改装
瑞風郵便ポスト

東浜駅を出るとすぐそこに日本海が見渡せる。東浜海岸である。遠浅で白砂青松のロングビーチと、磯遊びに最適な小さな島々が点々とある。

東浜海岸と陸上岬
東浜海岸から西方を見る
サーファーの姿があった
東浜海岸③
白波立つ日本海
鳥取行きの普通列車に道を譲る

岩美駅

東浜駅を出発して7分で岩美駅に停車した。26分停車する。岩美駅は岩美町の中心駅で、同駅から北へ数キロ進んだところに浦富(うらどめ)海岸がある。
同駅では乗客へのおもてなしとして、地元有志メンバーによる岩美龍神太鼓が披露された。暑い中ではあったものの、圧巻のパフォーマンスを披露していただいた。

日本海を望めるのもこの区間までとなる。
駅名標
古い駅舎

無事に鳥取駅到着

岩美駅を出発すると、大岩、福部と順に通過する。終点の鳥取まであとわずかとなった。
東浜駅と岩美駅の間で日本海とはお別れし、いよいよ鳥取砂丘が近づいてくるが、列車は砂丘から離れた場所を走行しているため、砂丘を見ることはできない。
山間部にある滝山信号場を通過し、15:22鳥取駅に無事に到着した。

高架駅舎
吊り下げ型の駅名標はなかった

番外編:特急スーパーはくと12号増2号車で爆走!

帰路は鳥取から特急スーパーはくと12号に乗車し大阪へと向かった。

鳥取駅電光掲示板。

ツアー記念品

3時間にわたる特別運行参加者に記念品が配布された。

ボールペン、ポストカード型記念乗車証、あめつち5周年ドリップコーヒー、山陰海岸ジオパーク缶バッジ、福知山車掌区作製記念乗車証


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