友人Kへの謝辞

「だからね旅券さん、アンタは坊さんになるべきなんだよ。いや絶対になるね。アンタが嫌がっても絶対にいつかは坊さんになる。しかも良い坊さんになる。だからほら、出家するなら今だよ。若いうちがいいんだ、こういうのは…」

ゴールデンウィークもとっくに過ぎた5月の中盤になると、こんな台詞と共に思い出す男がいる。Kは大学の仏教学部で知り合った同学年で1つ年下の僧侶で、酒を飲む度に、いや、たまに素面でも僕の事を仏教の道に引き込もうとした。

きっかけは大学1年生のこの時期に向こうから話しかけてきたことだったように思う。「自衛隊上がりでこんな大学のこんな学部に来た奇怪なヤツがいるらしい」とどこからか聞きつけたらしく、ある日の授業後に「あなたが旅券さんですか?」と尋ねてきた。

実は僕はそれより前からKの存在を認知していた。人を殺しそうな目つきをした坊さんが、ガタイのいい坊さん二人を荷物持ちのように侍らせているのを見たことがあった。友人の話によれば彼は仏教学部に在籍する大多数の学生と違い、実家がお寺というわけでもなく、一般家庭の出身で中学を出た後に自らの意志で出家し、高校に通いながらとある大寺院で修行をしていたという、いわゆる「大物」らしかった。寺の息子だろうと何だろうと、長く修行していた者が尊敬を集めるらしい。なるほど、荷物持ちくらい侍らせそうなものだ。

そんな大物がガタイの良い荷物持ち風の坊主を侍らせて話しかけに来たものだから思わず面食らってしまった。
「そうですが…なんでしょう?」と、年下の彼に敬語でこたえてしまう程度には。
「この後、一緒に昼飯でも食いませんか。」思ったより平和なお誘いに安堵しつつ、学食で荷物持ちさん達も含めて一緒にラーメンを啜った。

Kはどうやら僕の自衛隊の経験だとか、数ある大学の中でなぜこの大学の仏教学部に入ったのか、なんてことに興味があったらしい。僕も彼の素性に興味があったので、自己紹介のような感覚で互いに情報を開示し合った。

ラーメンの丼が空になる頃、僕たちはすっかり意気投合して、次に飲みに行く予定まで立ててしまっていた。

それからKとは週に一度は飲みに行ったり昼食を共にしたりするようになった。
話せば話すほど、彼の仏教への想いの強さや知識の深さに驚かされ、気づけば正月には彼の勤める寺院でアルバイトをするほどの仲になっていた。

彼と仲良くなるにつれて、彼の話す知識や思想についていこうと積極的に仏教に関する知識を集めるようになり、知り合って1年以上経つ頃には、すっかり冒頭で記したような仏道への勧誘を受けるようになってしまった。

彼の話す内容ときたら、
「偉そうに信者さんの前で講釈垂れるのが仕事じゃねぇんだ。まず目の前の修行、つまりは坐禅をすることから始めないといけねぇ。所作がきたねえ連中が人前で偉そうにしてるのは見ててイライラするんだ」だとか、「世襲のボンボンどもばかりだから適当な坊主が増えて、『坊主丸儲け』だのなんだのと衆生の皆様から言われるんだ。だからアンタみたいな外から純粋に仏教に興味を持って学んでくれる人が必要なんだ」だとか、のような愚痴交じりの勧誘に始まったかと思えば、「本来の僧侶のするべき事とは何だろうか」だとか、「仏教は本当に人を救うと思うか」だとか、深い問いに及ぶこともあった。

今、彼は大学を卒業して彼の宗派の総本山と呼ばれる某寺院で、今後2年にも渡る修行に励んでいる。スマートフォンも持っていけない修行僧の彼と連絡を取る手段は今はない。修行が明けたら連絡をくれ、とは言ってあるが、来るかどうかは分からない。

今年の2月ごろ、修行に旅立つ寸前の彼と最後に飲みに行ったのを思い出す。

「ついに在学中に旅券さんを出家させることはできなかったか…寂しくなるけど、一旦は諦めるよ。だけど、俺たちの関係はここで終わりじゃない。言い続けてきたけど、必ずいつか、アンタは坊さんになるよ。じゃあまた、次に会うのは何年後になるかは分からないけど、お元気で。」と言い残して、彼は長い修行へと発っていった。

彼が、僕の何処に「坊さんになる」という主張の根拠を抱いたのかは分からない。彼と4年間共に過ごす中で様々なことを語り合ったし、中には幻滅されかねないような発言もしただろうけど、彼がその主張を撤回したことはなかった。

そして彼は次に会うのは何年後かになるかは分からないけど、関係は終わらないと言った。だったら。別にそこまで坊さんになりたいわけじゃないけれど、何年間かの修行を経た彼にもう一度、「旅券さん、坊さんになろう」と言ってもらえるような人間でありたいと思う。

それは僕自身の生きるための目標などではなく、その仏教への想いの強さが故に、知識の多さ故に様々な屈託を抱えながらも、僕を評価してくれた彼の眼が誤っていなかったことを証明したい、という友人としての彼への純粋な感謝を込めての想いだということを、誰にでもなく断っておきたい。

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