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50年先まで撮り続けようと思えば

初期衝動が燃え始めた日

カメラを始めたのが高校生の頃で、たまたま祖父の部屋でニコンのフィルム一眼レフを見つけたのをもらったのがきっかけでした。
50mm1.4で見えた景色では、ピントを合わせた部分以外は全て形をうしなっていて、一眼レフ特有の「カシャン」という音と相まって、自分の人生におけるその地点に明確なクサビ、セーブポイントを保存できたような感覚がありました。
中高生、大学生と多くの出会いと別れがある中で、このカメラと写真さえあれば自分にとって別れの日は一生こないと、半ば本気でそう思いこみカメラをぶら下げる日々が始まりました。

初期衝動が満たされてしまった日

大学はこっそり暗室のあるところを選択し、せっかくならば何か一つでいいから写真で高みを目指したいと漠然と考えていました。その持て余した暇で様々な写真家の作品を見ていくと、初期衝動は徐々に「人の本質を伴ったポートレート」という、言葉としては明確に、存在としてはかなり曖昧な輪郭なところへ着地しました。
最終的には、4年生のころに兼部していたサークルや友人に頼んで100人分のポートレートとメモを作品として作成したのと、ある強い絆を作れた人との出会いから別れまでの一年分のポートレート、その二つが自分にとってのゴールでした。

モラトリアムと燃え尽きるような時間は終わった

働き始めてあるあるかもしれませんが、学生の頃の自分の作品をなぞる様な撮影ばかりになってしまいました。その中でも様々な出会いや発見はあるのですが、テクニックの向上と情熱の低下は緩やかにすすみました。成熟は衰退を意味します。
20代半ばくらいからボンヤリとは自覚していましたが、たぶん22歳の頃の撮り方では、もう先はないんだなと27歳で悟りました。続けることはできたかと思いますが、自分も周囲も働きはじめたことで変容していく価値観との乖離が、もうすぐ限界を迎えるような予感がありました。そこで、10代から続けてきた撮り方を一度やめてみることにしました。
27歳くらいまでの写真は動的で、構図的な完成度は低くても、いい瞬間を残そうという気概がありました。それは、いずれモラトリアムが終わること、つないだ絆の別れが来ることの焦燥と繋がったものでしたが、大人になってしまうと、もう少し時間の流れは漠然と緩やかに感じれらます。そこで、もう少し腰を落ち着けて、長い時間の中で向き合えるものを撮るようにしました。風景写真は完成度を求める堅苦しい世界のように感じていましたが、それぞれが持つ美しい形状や模様について学ぶことで、悠久の年月や先人たちの知識の積み上げの存在に触れると、自然に背筋が伸びて丁寧に撮るようになりました。
風景写真の良い所は、今日だめでも明日がある、明日がだめでも来年がある、と思わせてくれるところかもしれません。実際には災害や開発で、ある日突然なくなってしまったりもしますが、カメラを構えてるその時には、そう思わせてくれる強さと豊かさがあります。

せめて残り火が消えないように

いわゆる青春時代にカメラだけを抱えて過ごした自分にとって、いまさら別の趣味を選ぶなどという選択肢はあまり考えられません。写真, カメラの世界では質の高い作品を作ることができた、そして今作っている作品や今後作る作品もきっと良いものが作れる、そういう自負心が「高く飛べる」という漠然とした感覚を信じ込ませてくれます。そして、ほかの趣味ではきっとそういう事はできないだろう、そう思うと写真から離れることもなかなかできないわけです。どうせ離れられないのだから、それなりにしっかり抱きしめて生きていった方が幸せなのだろうと思います。
コスパ良くぼんやりと生きるよりも、より歓びの多い未来の為に、時には自己欺瞞に陥りながらもなんとかシャッターを切っていくしかないのではないかなぁと、諦めと決意をもってこの話は一旦終わりにしようと思います。

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