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新しい時代をつくるには、"良き聞き手"が重要。

去年からずっと、様々な社会問題(特にジェンダーや差別の話)において、聞き手の心構えが重要だなと感じることが何度もあった。

いくら大声で話しても、聴衆が聞いていなければ(あるいは「うるせーから聞いてるふりしてやるか」ということでは)、いつまでも聞いてもらえない大声を出してしまうこの状況は変わらないしつまりは議論が進まないからだ。

その聞き手の心がけのほとんどは、このPodcastで話したのだけれど、まだまだ同じような議論ばっかり続いているし、話していた内容の一つが以下のツイートでも反響があったので、noteでも残しておこうと思った。

ちなみにこのnoteは、先日書いた以下の記事と双子になるものである。こちらの媒体は、マーケティング担当者がメインのペルソナだと想定しているので、発信する側の人に届けたくて書いたが、このnoteは、その発信や、あるいは炎上を消費する"聞き手"に向けたものになる予定だ。

"聞き手のリテラシーが大事"。そんなタイトルにはしたが、私もまだまだ勉強中で、この"リテラシー"の入り口がわかるようになったのも最近だ。そして思ったのが「勉強しなければわからなかったことが沢山ある」ということ。だからこそ、noteで気軽に一部でも知ってもらえたらという思いもある。

私のように、一人でも多くの人が、"様々な社会問題に耳を傾けるときの気持ちが変わった"と思ってくれれば嬉しい。

ちなみに、今回のこころがけは、全てよく目にする"嫌な反応"に答える形で書いてみた。あなたも見たことがあるかもしれないし、言ったことがあるかもしれない。なぜなら、私も見たことがあるし、言ったこともあるからだ。私も勉強するまで、これが「無益な反応」だと知らなかった。だからこそ、何度も何度も何度も様々な炎上のたびにこれを聞くのだと思う。少しでも今回のnoteを通して、"ナシ"な反応が減って、意味ある議論が展開されたら嬉しい。

怒ってるのは、今まで無視されてたから

ジェンダーを筆頭に様々な議論において、よく聞く発言のひとつが、「そんなに怒らなくていいじゃん」だ。問題に対して発信する人に対して、「怒りっぽいよね」とか「神経質で疲れない?」とか言う人もいる。

しかし、私達は決して最初から性質として怒りっぽいわけではない。ただ、静かにしていたら世の中がちっとも進歩しないし、無視され続けているから怒っているのだ。

「怒っているのは、無視されてきたから」。相手は少しずつ音量をあげてこちらに伝えてきた結果が今なのだ。だから、耳を傾けることが、この状況を救う。

「見たことがないから存在しない」はナシ

その次によく聞くセリフが、「いやいや、そんなの聞いたことも見たこともないよ?」である。

恋人とジェンダーについて話す時、私が嫌な思いをした体験を話すと「そんなことあるの?!サイテーじゃん!」と言われることが多い。

私は、過去の嫌な体験から、大通り沿い以外の家には住めないし、夜道で後ろに誰かが歩いているのが死ぬほど怖いし、一人で電車に乗る時に寝るのも怖い。だけど、そんな話を誰にでもするわけじゃない。私は話せるけれど、恋人にさえその話をしたくない人は多いだろう。

自分と異なる立場の人の意見を「そんなことは起こり得ない」と突っぱねるのは簡単だ。けれど、多様性溢れる現代を生きる中で、それはあまりにも傲慢な主張なのである。

私達には、誰かの苦労が見えない。だから個別の事例を上げてくれることは尊く、誰かの声に耳を傾けることには価値がある。

「お前らだけが苦しいんじゃねえんだよ」で、物事は進まない

そして、ツイートでも反響があったのが「お前らだけが苦しいんじゃねえんだよ」だ。「まだまだ恵まれている人の問題ですよ」だとか、「私のほうがつらいのに」も同じ。これらの行為によって"問題の矮小化"が起こる。

「これだって問題なんですよ」は、「この問題は特別なことじゃないんです」となり、「じゃあみんなで我慢しましょう」となる。そして誰が得しただろう?「この問題をみんなで解決しよう」から、「やっぱりこれいいじゃん、他の人達のも解決してあげよう」の方が良くない?

そもそも、会議で、「Aの問題」について議論しているのに、「いやいやBの問題も大変なんですよ」と言った所でただただ会議が伸びるだけなのだ。今はAの問題の解決策について話しているのである。Bの問題を解決したいなら、別で会議で議題をあげてもらえると良さそうだ。

まずは、Aの課題を解決する。それに異論がないのに、他の課題を主張して解決を遅らせるのは、全体の進歩を遅らせていることに違いない。

起こっている問題に対して、「みんなしんどいんだから!」と怒ったところで何のメリットもない。様々な問題や立場が見えているのは素晴らしい。けれど、時にはそれが問題を小さく見せてしまうことを、私達は知っておいたほうがいいだろう。

私たちは絶対に"偏見"を持っていると自負する。

様々な"ナシ"な反応を紹介してきたが、前提として、私達はみんな、間違えることがあるという前提を記載しておきたい。

このあたりは、運営しているPodcastで良書を紹介してくれたエピソードがあったのでそこでも話したのだが、社会生活を行う上で、"偏見を持つ"ということから私たちは逃れられない。

「私とあなたは違う」。そう認知している時点で、そこには何かしらの偏見が生じやすいからだ。

だからこそ、ジェンダーや差別の問題は「最悪の行為」ではなく、「自分も陥るかもしれない注意すべき行為」として受け止める必要がある。もちろん、間違った偏見は指摘すべきだけれど、同時に常に自分が誰かを傷つける表現をしていないかを気をつけることを怠ってはいけない。

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この問題に向き合っている人はみんな「まだまだ勉強中」だと語る。多様性の問題は難しい。他人はやっぱりわからないし、わからないものや自分と異なるものを理解するのには意思が必要だ。

しかし、多様性を許容していく議論をすることは、現代を生きる上で必要な行為であり、そのための知識は教養だと思う。

私も最初は「どうして怒っているのか」「どうして他の人の苦労も主張してはいけないのか」わからなかった。いまもわからないことが多いし、今回も間違っている所があれば教えてほしい。

「勉強中」。そうして、誰かの声にまっすぐ耳を傾け、理解しようと努めつづけることが、誰かを救う。きっとそうやって、知る好奇心と自らをかえりみる知性を持ち合わせた人が、未来を作る"良い聞き手"になるのだろう。



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