“圧倒的に”わかりあえない時代を泳ぐために——今だからこそ見て欲しいドキュメンタリー『Social Dilemma』
「え、まじ何言ってるかわかんない」
なんだか最近、そう思うことが増えた。たぶん、2022年ほどこんなに「全くわからん」と感じた一年はなかったと思う。
ジェンダー観、仕事観、政治、コロナ禍の過ごし方。
こういったトピックを代表する、答えのない議論を見かけるたびに「なんでこんなことを信じる人がいるの?」「どうしてそんな考え方ができるんだ」「まさかあなたってそんな考えの持ち主だったの?」「え、まじで何言ってるか全然わからん。こんなにわからないものかね」と思うのである。
私たちってこんなにバラバラだっただろうか——そんな風に思っている頃、「Z世代はみんな全然違う個性を持っている(=ひとくくりに出来る存在ではない)」という主張を聞くようになった。この “マスの消失” という現象は、ソーシャルメディアの流行とともに語られはじめた内容で、私も2018年頃に記事で書いていたことがある。
とにかく現代は、一人ひとりが異なるタイムラインを見ているから、服装の趣味も、好きなインフルエンサーも、最近聞いている音楽も、ばらばらになっているという内容だ。
実際、こんなことがあった。とある知り合いが「私は血液型的にワクチンを打たなくても大丈夫なの」と言っていたので、びっくりして理由を聞くと、YouTubeの動画を見ていると教えてくれた。そこで、彼女のスマホの画面からYouTubeを一緒に覗き見したところ、おすすめされている動画が全部怪しい動画ばっかりだったのだ。毎日そういった動画を見ていると、そりゃあ、こちらが真実だと思うかもしれない。
その時思い出したのが、『Social Dilemma(日本語タイトル:監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影)』だ。
元・中の人たちが語る「スマホ中毒のレシピ」は必見
『Social Dilemma』は2020年に公開されたNetflixオリジナルのドキュメンタリーだ。日本語のタイトル通り、インターネット、特にその中でもソーシャルメディア・SNSが普及した現代の問題点を、過去にGAFAに勤め、プロダクト開発に携わったメンバーを中心としたインタビューと、ユーザー視点のドラマを織り交ぜて紹介している。
物語の前半は、”Dark side of Growth Hack”ともいうべきか、日本では「グロースハック」「マーケティング」とも呼ばれるような行為がどういうことを実際にやってきたかを紹介している。
その内容は、初めて見た人には驚きかもしれない。心理学や行動経済学に沿ったUX設計。膨大なデータを取得して、精緻に作り上げるユーザー像。その内容から、無限にスクロールできるUIが、可愛らしく情報を伝えてくれる通知が、見たい情報をサジェストしてくれるアルゴリズムが、私たちの毎日の行動を変え、スマホから離れられない日々を作り上げているとわかる。
それはまるで、「スマホ中毒のレシピ」だ。
作品内で聞かれる衝撃的な言葉が突き刺さるのは、自分に心当たりがあるからだろう。
皮肉にも、作品内では “プロダクトが私たちを中毒にしようとする理由は、滞在時間を伸ばし、さらなるデータを集め、広告を見せようとするビジネスモデルにある”といったような展開になっていくのだが、ビジネスモデルを転換しサブスクモデル(またはコンテンツ課金モデル)が流行している今も、結局Webサービス事業者は滞在時間を伸ばしたいがために、可処分時間を奪い合い、ユーザーのデータを取得して、ユーザーに見せるものをカスタマイズしているという状況は変わらない。(当のNetflixが広告プランをスタートしたのも皮肉)
ビジネスモデルが変化しようとも、各サービスが私たちの時間を奪い合っている限り、この「否応なくスマホに吸い寄せられる」誘惑からは逃れられない。
私たちは、手に負えない魔法を手に入れたサルだと認めよう
さて、私がこの作品を思い出したきっかけ——2年後の今、この作品を見てみて改めて面白く感じるのは後半の、ソーシャルメディア中毒が引き起こす問題だ。後半は “ユーザーの興味を獲得できるコンテンツを意図的に見せる” 問題について、語られている。
作品内ではわかりやすく、Wikipediaの例を用いて伝えられているが、例えばWikipediaは誰が見ても同じ内容である。けれど、ソーシャルメディアというのは、よりその人の興味があるものを見せるために、見せる順番や内容を変更する。
身近な例で言えば、同じ検索ワードを検索しても、基本的に検索結果はパーソナライズされているから、異なる結果が表示されているし、ソーシャルメディアでは誰もがバラバラのタイムラインを見ている。冒頭で話したとおりだ。
そして、それは洋服やインフルエンサーの趣味だけではなく、思考にも作用する。つまり、「もっと滞在時間を伸ばしたい」とプロダクトの作り手が願えばそうできるように、特定の目的に沿って、ユーザーを動かせるということだ。
作品内では、実験を行った結果、Facebookでユーザーをより多くの人を投票に行かせるように仕向けることは “可能だった” と述べられている。実際に、その仕組みを活用して、政治への考え方を操作したり、分断を生み出したり、暴動を生み出した事例も紹介されている。2021年頃から、米国選挙をきっかけに、この “ソーシャルメディアによる思想誘導” は度々話題になった。
・私たちは、普段ソーシャルメディアで全く別の現実を見ている。
・見せる情報によって、思想は形作られる
・その性質を利用して、思想誘導しようとする人、分断を生み出そうとする人たちがいる
この映画を見てわかるこれらの事実は、現代を生きていく上での基礎知識として知っておくべき事柄ではないだろうか。
隣の誰かは、別の現実を生きているのだ。
さらに2022年に生きる私が2020年の映画を見て「コレはもう古いな」と思うほどにテクノロジーの進化は速い。しかし、私たちの脳や身体は、そう簡単には変化しない。実際に、私は通知が来ていないか今日も不安だし、不特定多数にどう思われているか考えることにストレスを感じている。
ソーシャルメディアが理由ではないけれど、それらの登場とともに分断し、混乱し、世の中も自分も調子を崩しているのを目の当たりにしながらこの映画を見て感じるのは、私たちは、ソーシャルメディアという、魔法を突然手に入れたサルなのだ、ということだ。
作品の最後に描かれる「このままだとこうなってしまう」のいくつかはすでに世の中で起こってしまっているような気がする。
難しいのが、出演している開発者の誰もが「開発したときにはみんなのためになると思った」と話しているところだ。テクノロジーがあらゆることを便利にする世の中は素晴らしい。テクノロジーがくれる幸せもある。それは忘れてはいけない事実である。だから、今回の記事にも原題である『Social Dilemma』を使わせてもらった。
テクノロジーはいつも悪くない。それはただそこに存在しているだけだからだ。良い方向にも悪い方向にも、テクノロジーを駆動させるのはいつも、人間の意志である。
だからこそ、テクノロジーと付き合うにしろ、テクノロジーをテクノロジーで抑え込むにしろ、我々はその実態をよく知っておくべきである。
人間がテクノロジーを通じて「人間にこうしてほしい」と願う限り、テクノロジーは使うものであると同時に、テクノロジーは私たちを使おうとしてくる。
この映画は、これからも誘惑してくるソーシャルメディアとうまく付き合っていかなければならないサルである私たちに、その心構えのヒントとなる “仕組み” を教えてくれる。
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