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「何者かになりたい」という質問を受ける度、思うこと

言いたいことに入る前に、前提として、そもそも、私なんかが「何者か」を語ってごめんなさい!!!!!!!!!と言っておく。(笑)

"りょかち" を知らない人が世の中の99%以上なので、私がこれを語るのは非常に恥ずかしい部分もあるのだが、しかしなぜこれを書こうかと思ったかというと、先日「何者か」について質問を受けた内容を含むインタビューが出たのだ。

こういった質問を受けたのは今回だけじゃない。しばしば人生の後輩たちから、この「何者か」について質問されることを複数回経験している。

今回の記事のように「何者かにならないといけない時代をどう思いますか?」と聞かれることもあれば、「何者か」になるにはどうしたらいいかという質問をされることもある。

そのたびに、「『何者か』って、誰になりたいの?」と思うのだけど、複数人の話を聞いている感じからすると、どうやら「何者かになりたい」という気持ちの背景には、SNSで有名な人達やメディアが "これからは個人の時代" という言葉を繰り返している現象があって、その内容を「これからは個人名で知られなければ・指名される人材でなければ」という風に受け止め、焦っているということらしかった。

そして、「個人として知られる」とはつまりSNSで不特定多数に知られることも含み、「何者か」になるために、SNSでの発信に精を出すのだという。

「何者か」になるメリットはたしかにある

りょかちさんがSNSで有名になったのは私が内定者だった2016年頃だから、もはや "りょかち" という名前が(それなりに)知られて6年以上になるが、たしかに、社外をはじめとする不特定多数に名前を知られるメリットはある。

自分のことをより良く伝えようとしなくても、相手が自分を知ってくれているのは、コミュニケーション下手の私にとってはありがたいし、私のことを知っている人が多いから、頼んでもらえている仕事もあると思う。私のnoteを読む人も、たぶん半分くらいは、知らない人のnoteなら読まなかったんじゃないか。

だけど、知名度の点で議論するならば、当然デメリットもある。知ってくれている人が全員私を好きだとは限らないし、プライベートで挨拶した人のSNSアカウントを見てみたらブロックされてたということも、全然経験ある。 "人気があるから" もらえる仕事は何故か実力に換算されないため「ずるい」と思われやすく、出会わなくて良い嫉妬や暴言に晒されて心を病む人もいる。

それに、ただ、それだけだ。別に、一部の人に、他の人よりも多く知られているだけ。数万人のフォロワーがいるメディアを持っているだけ。

実際それが素晴らしく活きる領域も増えてはいるけれど、それで身につくスキルも、SNSフォーマットに沿って人を引きつける表現ができるかどうか、だ。是が非でも現代において必要なスキルか、といえば、そうは思わない。必要な人もいるスキルだとは思うけれど。

例えばビジネスで活用されがちなTwitterでは、いかに「うまく言うか」が大事であり、それがそのまま普段のビジネスに活きるかというと、親和性が高いスキルではないと思う。さらに、それは移ろいやすく、いつまでも通用するスキルでもない。

SNSで有名な人は "SNSで有名になるのがうまい" 人なのだ。

誰にとっての「何者か」になりたいのかを考えよう

だから私は記事でも話したように、「何者か」を目指すなら、 "身近な人にとっての「何者か」" を目指すほうがよっぽど価値があると思う。

"身近な人の何者か" というのはつまり、仕事を一緒にしたことがあるとか、自分のことを実際に知ってくれている範囲の人に、特定の領域で信頼されているということを言っている。

たとえば、一ヶ月でフォロワーが1000人増えるよりも、大学のサークルの中で「この人に次期会長になってもらいたい」と複数人に思われる方がよっぽど価値がある。

会社で言えばもっとわかりやすいかもしれない。不特定多数に知られるよりも、会社で「難しいプロジェクトだからアイツに任せたい」と思われるほうがよっぽど面白い仕事に恵まれやすいし、キャリアも安定するはずだと思うのである。

とはいえ、「でも、転職とかに活かすなら社外の人に知られていなきゃいけないんじゃ?」と思うかもしれない。けれど、これは私がIT業界という、比較的人材の流動性の高い業界にいるからかもしれないが、週に1度は「○○さんって前の職場で一緒だったよね?どんな人?(採用orプロジェクトに入ってもらおうか、迷っている)」と採用系の担当者や経営者や知り合いから言われる。今はFacebookをはじめ、人のつながりが見える時代だからこそ、身近な人からの信頼もパワーを持っている。

それに、この "身近な人の何者かになろうとするスキル" 、つまり、自分の得意領域で身近な人の役に立てる人になろうとするスキルは、汎用的で、自分を成長させてくれる。私も、結局仕事を頼む時に、「その人が有名かどうか」ではなく、「その人がその領域の人たちに信頼されているか」の方が考えることが多い。

実際に私も、過去に一緒に仕事をした人から頼んでもらえる仕事の方が今は多い。そういった仕事は、これまでの自分の仕事に期待を寄せてくださっている内容も多いので、自分を成長させてくれるものも多くやりがいがある。そしてそれは最終的に、私が大好きなSNS発信について(SNS発信を期待されている仕事だから発信しなければということがなく)自由に発信できることにもつながるので、精神衛生的にも良い。

「個人の時代」とよく言われる。確かに、「企業が守ってくれる時代」ではない。だけど、その "自分の名前が知られていることが自分を守ってくれる時代" に、キャリアを築くにおいて優先して知られておくべきは、一緒に仕事をしたこともない、ただ名前だけを覚えてくれている人ではなく、すぐそばで自分と仕事をする可能性のある人たちではないだろうか。

"個人" として周りに信用されるために、自分ができることのレベルをあげていくこと、仕事仲間に大事な時に思い出してもらえる人間になろうと努力することは、末永く自分を守ってくれる。

「何者か」になっている人たちの特徴

最後にこれはおまけで、かつ、厳しい内容も含むのでマガジン限定にしたいのだが、「何者か」になりたい人に、「どうして?」と何度か聞いたことがある。

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半熟たまご

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コラムニスト・りょかちが、頼まれてもないけど伝えたいことを、こっそり書いていくマガジンです。 旅行日記、最近面白かった本・映画・漫画、考…

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