始まりは惨(散)劇/中国ひとり旅 其の二
一人旅、けして一人で行きたいわけではありません。ただ気がつくといつも一人になっています。
平成元年の2月、一人で中国を旅しました。場所は「中国福建省福州市福清県水南村南門外」たしか、こんな場所だったと思います。漢字から推測してください、かなり奥まったところです。
前回は、中国を旅行することになったいきさつと、旅の概略を書きました。今日はその話の2回目です。まずは、出発前の惨(散)劇から。
平成元年の2月は、昭和天皇がお亡くなりになってからまだ間がなく、空港の警備は厳しく、到着前に検問がありました。検問では一旦、全員がバスから降ろされ、バスの中のチェックがありました。その間、私たちはテントの中で厳しい荷物チェックを受けました。惨(散)劇はそこで起きました。
当時、私は大きなトランクケースを持っていなかったため、大きな大きなリュックサックと下にキャスターの付いたナイロン製のバックを持っていました。そのナイロン製のバックには中国の友だちやそこで出会う人たちへのお土産を入れていました。友だちへは箱に入ったお菓子などをたくさん買い、それはナイロン製のバックの底に置きました。その上に、みんなに配るお土産をたくさん載せました。
あらかじめ、中国の友だちにお土産は何が良いか聞きました。当時(今から30年前)、友だちの住む町では「紙」が大変貴重だと聞きました。友だちは、自分の住む町にはほとんど流通していない物が日本にはあるからそれを持ってくると良い。それは軽いし値段も安いから丁度良い。と、言いました。だから私は素直にそれをナイロン製のカバンいっぱいに詰めて行きました。それはトイレットペーパーです。
外側のパッケージのまま、ナイロン製のバックに詰めれば良かったんです。でも外側のパッケージをはずして、バラバラにしてバックに詰めたがために惨(散)劇は起きました。
検問所でのことです。数名いた警備員の内、一人は私の大きなリュックの中を点検していました。私もそこに集中していました。そのときです、別の警備員が、「こちらも拝見します」と、ナイロン製のバックを開けました。そのとたん、無防備に開けたので詰めてあったトイレットペーパーが一斉に散らばり、転がり始めました。あわてたのは警備員です。「失礼しました!」と大きな声で謝罪した後、あわててトイレットペーパーを集め始めました。私の後ろに並んでいた人たちも拾ってくれました。
次に惨(散)劇は悲劇になりました。今度はトイレットペーパーがナイロン製のバックに入りきらないんです。仕方なく最後は幾つかトイレットペーパーの芯を抜いてバックに詰めました。警備員は最後の最後まで恐縮して、謝り続けていました。
こうして、私の中国一人旅は惨(散)劇から始まりました。
その日は、とりあえず上海まで行きました。でも着いたのは夜でした。どこも見ることなくホテルに入りました。もう今では何というホテルだったかも覚えていません。
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