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「皆さんが選んだんですよね」

 石原慎太郎氏が都知事だった時代、何の件だったか、職員の方(知事宛ての要望を受け付ける窓口)に抗議したことがあったのだけど、そのときに「でも皆さん(=都民)が選んだんですよね」と返されて衝撃を受けるという経験をしたのを思い出す。これは20代だった私が経験不足で食い下がれなかったという話ではなくて(いやそうではあるのだが)、投票の重みを突き付けられた/思い知ったという体験だった。当時は活動で何人かの課長とも付き合いがあったし、何となく適温のやり取りができるような錯覚を起こしていたのかもしれない。しかし返って来たのは、シャッターが閉まる音だった。正確に言えば、シャッターを職員が閉めたのでもない。これはシャッターがある、それは閉まる、それを含めての選挙なのだという厳しさを、私が思い知ったというだけの話だ。

 都職員という立場、組織の一員としてその発言は決して褒められたものではなかったとは思う――私も今だったら、まあまあと、窓口におられる方としてただ記録して適切に処理して下さいと言うだけだろう。それでも何か言うようなら、公約になかった在職中の問題まで都民に責任を問えるとお考えですかと、失言を問題として利用さえするだろう。ただ、その発言がどれだけ詭弁でありどれほど場に相応しくないものだったとしても――私は「あの時の職員は真実を言った」と知っている。
 選ぶ/任ずるとは「そういうこと」なのだ。 

 当時は――かの人は4期めでバックレた方だったので12年間ということになるが――ほかの自治体に行くたびに、NPOやら活動家やらから都民はバカかと笑われたものだった。そうした品のない物言いを真に受けることはなかったのだが、都職員の言葉は現在も胸から離れない。だから私は今までずっと、選挙民としての自覚と責任から離れて政治を批判することができない。


 子どもが少ない人は胸に手を当てて反省せよと(早速)都知事のブレーンが言ったという報道があった。そういう現実認識なのであれば、少子化問題への取り組みもたかが知れているだろう。

 私はまた、シャッターが下りる音を聞いた。この音を、覚えていたい。

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