江古田の藤子ちゃん
江古田という、中野区でもあり練馬区でもあるような、つまり行政のテコ入れがしにくそうな街がある。中野区民は「えごた」と呼び練馬区民は「えこだ」であると言う。ガンダム派が「宇宙」と呼びヤマト派が「宇宙」と言い張るようなものか。私は「そんなのエゴダ」と笑っている。そこの住民でもないので、無責任なものである。
近隣の大学数校による「江古田キャンパスプロジェクト」が掲げるのは「立ち泊まりたくなるまち。江古田」というキャッチだ。ちなみに2022年は「レトロに愛。食べに恋。江古田」とふんわり感のみで駆け抜けたのだが、レトロ売りに不可欠な憧れもオシャレ感もないのが江古田であり、泊まりたくなろうにもビジホが一軒あるくらい。愛も恋もねえだろ。19時でも灯りは少ないし、きっちり終電前に帰る人ばかりだし、コロナ以降、客足が戻らないと商店街の人たちが嘆く、つまりどこにでもある、古ぼけて疲れた街だと思う。池袋はもちろん渋谷だって横浜だって電車一本、しかし人々はその電車に乗って外に行く。本当はその電車で江古田に来てほしいのに、地元の人々でさえもにぎわいや愛や恋を求めてどこかに出かけて行くんだろう。
私ならそんなもの悲しさにこそ足を止めるけどな、と思う。飾り立てるくらいなら、「エコか、エゴか」と「中野 VS 練馬」の対立構造を打ち立てて「何か商店街が競って頑張っているような」アピールをするかもしれない。実際にはそんな争いは起きていないし起きようがないのだが――私が語る商店街は江古田、つまり練馬区側にあるから。
そんな江古田を歩いていたら、店の軒先に亀がいた。でけえ。
でかい。爬虫類の体長は大まかに年齢に比例する。基本、大きくなり続けるのである。環境がよければ生きるしでかくなる。それにしてもお前はでかくなりすぎだろう。大阪城のお堀に居たなこんなの。後ろに連れの「先輩」氏がいると思い込んでいる私は(そもそもこの先輩が江古田で飲みたがるので私は江古田くんだりまで出かけるんである)、「何こいつでけえっすよ。イシガメとクサガメのハイブリットかな。いやでけえなお前」と騒いでいた。あまりにも反応がないので後ろをみると先輩がいない。なんなのあの人。仕方ないので亀に「ねえマキシマムサイズって知ってる?」とか話しかけているとカラリと戸が開き、店主が出てきた。おれ声でかかったっすか。
「大きいでしょ」
「いやあ立派ですね。こんなの初めて!」
――初対面の挨拶はちょっとした変態同士の会話みたいだった。
「26年かな」
「どおりで。おっきいっすもんね。これはクサガメ……?」
「いやいやミドリガメ」
「ええええええ」
「あの、ほら、外来種って今さ」
「ああ、ミシシッピアカミミガメって言いますね」
「そうそう。小っちゃかったんだけどね最初は」
かつて夜店などでバンバン売られていた、ミドリガメ。元気よく泳ぎ回るその姿の、丸い甲羅と赤い耳がとりわけ愛らしく、大人気だったものだ。しかし成長と共に赤耳は色褪せ、ほぼ真円だった甲羅は楕円になり、巨大になる。――そうか、可愛がられたんだな、お前。よかったな。しんみりする。
「外来種」なんかじゃねえぞ。お前は江古田で育ったんだ。
ここはお前の街なんだから、胸張って生きろな。
いい街じゃん、江古田。江古田が、好きになった。
こういうとき、お約束で「これ生け簀?」って冗談言うんだけど、毒吐かなくて正解だった。ふざけちらかすことは「常に正解」ではない。日本人に馴染み深いクサガメだって歴史をたどれば外来種なのだ。鯉や猫と同じに。
「藤や」さん、評判のよい店らしい。会話だけで飲み食いしてないおれには店主さんがとても感じのよい方であることしか保証できないけど、いい店だという口コミばかりであることは、頷ける。「ホーム」感。近隣の学生たちが感じていたであろうことが、理解できた気がした夜だった。
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